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  11月25日

次女がソファの上で昼寝をしていた。

カバーが次女のよだれで汚れてしまっている。

腹が立ったので、

次女を叩き起こしてほっぺたを3発ほど殴った。

しまった。 顔は目立つ。 跡が残ったら、夫にバレる。

冷やしたタオルで応急処置をした。

なんとか腫れが引いたので、ひと安心。

 

  11月26日

朝食のとき、長女のために作ったゆで卵に、次女が手を出した。

私は 「だめよ!」 と言ったけど、

長女がゆで卵を半分に割って次女にあげていた。

なんて優しい子なんだろう。

それに比べて、人の食べ物を取ろうとする次女は

なんてあさましい子なんだろう。

罰として、次女には昼食を与えなかった。

これで反省するはずだ。

 

 

# # #

 

 

「絵里ー! おーい! ‥‥絵里?」

部屋の前で何度か妹を呼んでみたけど、返事はなかった。

おかしいな、玄関に靴はあったはず。 トイレかな。

別にいいや、中で待ってることにしよう。

 

「入るよー?」

一応声をかけてから、ドアを開けて部屋の中に入った。

やっぱり誰もいない。

 

 

「ん‥‥何これ」

絵里の机の上に、古ぼけた日記帳が置いてあった。

 

表紙には、『1991年』 と書いてある。

91年ってことは、私が6歳で絵里が3歳の年か。

あ、でも絵里は12月末生まれだから、ほとんど2歳か。

 

 

なんとなく手に取って、ぱらぱらと適当にページをめくる。

『‥‥11月25日、次女がソファの上で昼寝をしていた。

 カバーが次女のよだれで‥‥』

お母さんの日記だ。 子育て日記?

 

そういえば、私や絵里は小さい頃どんな子供だったんだろう。

なぜ私には幼い頃の記憶がないんだろう。

これを読めば、何か思い出せるかもしれない。

 

続きに目を通そうとした時、部屋のドアが開く音がした。

 

「ちょっとお姉ちゃん‥‥‥あ! やだ、だめええええ!!!」

絵里の大声にびくっとして、後ろを振り向く。

「読んじゃだめー!!!」

絵里は私のほうへ突進してくると、日記帳を奪い取った。

 

「な、何だよ‥‥」

「‥‥‥どこまで、読んだ?」

「は?」

「どこまで読んだかって訊いてんの」

 

いつものへらへらした表情ではなかった。

絵里は、私を睨みつけた。

 

「どこって‥‥1〜2行だよ。 すぐあんたが来たから」

「ほんと?」

「ほんとだよ」

「‥‥なんか変なこと書いてあった?」

「いや別に。 絵里がよだれでソファ汚した、とかそんな感じ」

 

絵里は日記帳を抱きしめたまま、大きく息を吐いた。

「そっかぁぁぁ。 なんだ、よかったー」

気の抜けた表情。 いつもの絵里の顔だ。 私もほっとした。

 

「じゃ、お姉ちゃんに読まれたら困るから、これ隠してくるね!」

 

絵里は悪戯っぽくそう言うと、日記帳を持って部屋を出て行った。

変なの。 なんであたしは見ちゃいけないんだろう。

 

 

ポケットの中の携帯が震えた。

取り出すと、背面ディスプレイがピンク色にぴかぴか光っている。

さゆからのメールだ。

 

『今週の日曜、うちに来ませんか?

 親が出かけちゃって、家に1人ぼっちで暇なんです。

 たまには室内でまったりしましょう☆』

 

わお! 積極的! 何だよ、ドキドキしちゃうじゃん。

さゆは狙って言ってるんだろうか。

こういうの、世の男子にしてみりゃ殺し文句なんだろうな。

これは大接近、いや一線を越える大チャンス、

しかも彼女のほうから誘ってる! みたいな。

 

あー、まずい。

さゆを好きになってからというもの、何かあるたびに

「自分が男だったらどう思うか」 というのをいちいち想像してしまう。

女目線と男目線、

両方の立場から物事を考えるようになってきている。

なんかやだなぁ、こういうの。

女のくせに女を好きになってしまった以上、仕方ないんだろうけど。

 

どんなふうに返せば好印象なのかよく分からなかったけど、

『行く行く!!!』

2度繰り返し、びっくりマークを3つ付けて返信した。

行きたいという意志と、誘われて嬉しい気持ちが伝わればいい。

 

 

その夜、夢を見た。

最近、同じ夢ばかりで少々飽きてきたくらいだ。

 

公園にふわふわ漂う無数のシャボン玉。

私は、知らない女の子と一緒に砂場で遊んでいる。

 

「りかちゃんはそっちから掘ってね」

砂山を手でぺたぺたと固めながら、幼い私が言った。

女の子は、「わかったー」 と言って、

砂山の反対側からシャベルでトンネルを掘り始める。

 

そうか、あの女の子はりかちゃんっていうのか。

たぶんさゆのお姉ちゃんだよね。

 

滑り台のてっぺんには幼い頃の絵里とさゆがいて、

一生懸命ストローを吹いてシャボン玉を飛ばしている。

近くのベンチにいた母が、「液を飲んじゃだめよ」 と注意した。

絵里とさゆは、シャボン玉の唄を歌う。

 

「かーぜかーぜーふーくーなー」

「しゃーぼんだーまーとーばーそー」

 

 

ぱっと場面が変わって、

キッチンの中で泣いている小さな女の子。

ひっくり返った鍋と、撒き散らされたシチュー。

佇む母と私。

 

話しかけなきゃ。 泣いている妹をなぐさめなきゃ。

 

「絵里、どうしたの? なんで泣いてるの?」

あ、今日は声が出る。

 

私の声は届いたようだ。

俯いて泣いていた妹が、顔を上げて私のほうを振り向いた。

 

 

―――その瞬間、目が覚めた。

びっしょり寝汗をかいていた。