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  11月14日

次女が昼食を残したので、頭に来て、お尻を数回叩いた。

1度手が出てしまうと、もう歯止めがきかない。

あのシチュー事件(と私は呼ぶことにした)で次女の頬を

叩いて以来、抑えきれなくなってしまった。

 

  11月15日

次女がクレヨンで床を汚したので、二の腕を思いっきり

つねり上げた。

夕方になれば長女が、夜になれば夫が帰ってくる。

家族がいれば大丈夫なのだ。

だけど昼間、次女と2人きりになると、どうしても理性が

吹っ飛んでしまう。

 

  11月16日

昼食を作っている間、次女が私の足にまとわりついていた。

うっとうしかったので、

「離れなさいよ!」 と怒鳴って勢いよく振り払った。

次女は床に転んで泣き出した。

まただ。 私はいつも、やってしまってから後悔するのだ。

でも感情を抑えられない。

次女を憎いとさえ思ってしまう自分が怖い。

 

 

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やっちまった、と思った。

お姉さんのことなんて全く知らなかった。

 

「ごめん、なんか」

さゆに辛いことを思い出させてしまったのが申し訳なくて、

自己嫌悪に陥る。

「いえ、いいんですよ。 昔のことですし」

 

さゆは少し淋しそうに笑うと、

暗い雰囲気を吹き飛ばすように明るい口調で言った。

「よしっ、次行きましょう次! さゆみ、お腹へっちゃったなー」

「あ、あたしも!」

私もさゆに合わせて、慌てて明るく答えた。

 

さゆに腕を引っ張られて、雑貨屋をあとにする。

「ひとみさん、甘いもの好きですか?」

「うーん、そこそこ」

「じゃあ行きましょう、さゆみ、いい店知ってるんですよ」

 

 

私の腕を掴んでずんずん前を行くさゆの後ろ姿を見ながら、

唇を噛みしめた。

 

やっぱり私はだめ人間だ。

さゆと一緒にいると、何をやってもうまくいかない。

普通に喋ってるだけで赤面するし噛みまくるし、

キモい笑い方しちゃうし。

いつもの爽やかクールビューティーな私はどこに行ったんだ。

 

今日だけでいくつもの失敗を犯している。

 

甘いもの好きのさゆのために手作りのマンゴープリンを

持っていったら、申し訳なさそうに

マンゴーは好きじゃないと言われてしまった。

知的なところを見せようとして豆知識を披露したら、

知ったかがバレて墓穴を掘った。

気合いを入れて新しいジーンズを穿いていったのに、

値札どころか、サイズ表記のシールまでが貼り付いたままだった。

お約束すぎて涙が出る。

 

挙句の果てに、何気なく振った話題で地雷を踏んだ。

最悪だ。

今日はマイナスの印象しか残してないじゃないか。

 

 

「ちょっと、どうしたんですかひとみさん。 暗いですよ」

「えー、そうかな‥‥」

「そんなあからさまにしゅんとしちゃって」

 

うわ、しまった。

私がそんなテンション低かったら、

さゆまでつまんない気分にさせてしまう。

 

「あっ、いや、ごめん、そんなことないよ! 超元気! 超楽しい!」

ゴッ。

元気をアピールしようとして拳を振り上げたら、

さゆの顎にクリーンヒット。

「あ‥‥ごめん‥‥」

「‥‥いえ、大丈夫です‥‥」

 

さゆの顔がひきつっている。

沈黙が流れる。

終わった。 もうだめだ。 完全に嫌われた。 死のう。

絶望で目の前が真っ暗になった。

 

 

ああ、もう泣きそう。

鼻の奥がつんと熱くなって、喉の奥がきゅんと苦しくなって、

「ひっ」 とか何とか声が漏れた。

 

‥‥‥まずい、聞かれたかな、今の。

恐る恐るさゆのほうを見ると、ばっちり目が合う。

 

「‥‥‥っぷ、あは、あははははは」

突然さゆが笑い出したので、私はびっくりして固まった。

何? なんで? そんなにおかしかったかな。

 

「くふふふふふ、あはは、やだもうひとみさん、

 泣かないで下さいよ」

言われた途端、耳までかぁっと熱くなった。

 

「な! 泣いてないもん」

「あっは、涙目で何言ってんですか」

「ちちち違うし! あくびしただけだし!」

「嘘だぁー、『ひっ』 て聞こえた」

「違うし! ええと、あれだよ、屁の音ごまかそうと思って

 声出してみただけだし」

「そこで言い訳するなら、普通しゃっくりとかじゃないんですか?」

「あ‥‥そうか」

「あと、泣いたことよりおならのほうが恥ずかしいと思いますよ、

 女の子として」

 

ああああそうだよね普通。

明らかにおかしいよね、何言ってんだ私は。

もう消えてしまいたかった。

喋れば喋るほど、どんどん墓穴を掘っていく。

 

 

私がさらに真っ赤になって俯くと、

控えめにさゆは笑うのをやめた。

 

少し間があって、両手にしっとりと柔らかな感触。

びっくりして顔を上げた。

さゆが私の手をきゅっと握っている。

 

「さゆみ、ひとみさんのそういうとこ好きですよ」

「‥‥へ?」

 

私はぽかんとしてさゆを見つめ返した。

 

「そうやって空回りしちゃうひとみさん可愛いと思います。

 さゆみにいいとこ見せようとして頑張ってくれてるの分かるし、

 すごく嬉しいなって」

「うそ! だって全部失敗してるもん、かっこ悪いじゃん」

「それが可愛いって言ってるのにー」

「‥‥でもあたし普段はこんなんじゃないんだよ、

 むしろかっこいいとか言われるんだよ。

 さゆの前だとおかしいだけで」

「普段がどんな感じなのかは分かりませんけど、

 さゆみは、さゆみと一緒にいる時のひとみさんが好きです」

 

―――何だよ、反則技だよそれ。

じわっと涙が滲んできたので、慌てて目をこすった。

また笑われちゃう。

 

「だからもう余計な心配しないで下さいね」

「‥‥うん、うん分かった、しない」

「さゆみ、ひとみさんのこと好きですからね」

「うん、なんか‥‥ありがとう、嬉しすぎて今超やばい」

 

やっぱり私はさゆが好きだ。

そして、さゆも私のことが好きなんだ。

あー。 すげー。 どうしよ。 これって凄いことだよね。

好きになった相手も自分のこと好きだなんて、

宇宙規模で考えたら凄い確率だと思う。

 

「‥‥‥ていうかこのままじゃさゆみがやばい」

「え?」

「あっ、いえ、何でもないですー。 ひとりごとー」

 

 

その後、さゆおすすめの店でケーキを食べて、

適当に街をぶらぶらして、帰ることになった。

楽しくて幸せな1日だった。

こんな毎日がいつまでも続けばいいのに。

 

少し遅くなったので、さゆを家まで送っていくことにした。

夜道を1人で歩かせるのは心配だ。

でも、女が女を家まで送るってどうなんだろ。

私だって帰り道は1人なのに。

 

 

「ありがとうございました。 じゃあ、ひとみさんも気をつけて」

「うん、またね」

玄関先の門の前で手を振って、さゆが家の中に入るまで見送る。

 

その時、後ろ姿のさゆが何かぼそっと呟いた。

 

私は首を傾げた。

かすかに聞こえたのは、「早くしなきゃ」 とか 「今のうちに」 とか。

‥‥ま、いっか。 独り言が多い年頃なんだな。

意味が分からなかったので、

私は聞こえなかったことにしてそのまま帰路についた。

 

今日のこと、また絵里に報告しよう。

嬉しかった。 最高に幸せだ。 今なら死んでもいい。