車椅子

 

 

 

 

 

教卓の前で、女の子が先生の隣に並んで立っている。

 

「神奈川から転校してきました、熊井友理奈です。

 仲良くしてもらえると嬉しいです」

 

転校生の女の子はそう言って、ちょっと恥ずかしそうに笑った。

綺麗な子だった。

美人だけど誰からも反感を買われないような、

嫌味のない平和な顔立ち。

この子と仲良くなりたい、と思った。

 

先生が言った。

「見ての通り、熊井さんはこうして車椅子を使っています。

 何かあったらなるべく手を貸してあげて下さいね」

 

あ、車椅子なんだ。 あの子座ってるんだ。

後ろのほうの席だった私は、

先生の言葉で初めてそのことに気づいた。

だって、彼女は車椅子に座っていても

頭の高さが先生と同じくらいだったから。

 

 

休み時間、私はさっそく彼女に話しかけに行った。

 

「私、中島早貴っていうんだ。 熊井さん、よろしくね」

「よろしく、熊井友理奈です。

 えーと‥‥何て呼べばいいかな?」

「みんなにはなかさきって呼ばれてるよ。 熊井さんは?」

「前の学校では熊井ちゃんって呼ばれてたかな」

「そっかぁ。 じゃあ熊井ちゃんね」

「うん、よろしくね、なかさきちゃん」

 

ぎこちない会話をしながら、

私はなんとかして彼女と仲良くなろうと頑張った。

 

正直言うと、私はクラスで疎外感を感じているのだ。

いや、決してハブられているわけではない。

普通に友達はいるけど、みんな私より仲の良い他の誰かがいる。

舞美ちゃんはえりかちゃん、愛理は栞菜、ちっさーは舞ちゃん。

私には、私を1番だと言ってくれる親友がいない。

 

熊井ちゃんなら私の親友になってくれるかもしれない。

根拠はないけど、そんな予感がする。

 

 

# # #

 

 

「そういえば、熊井ちゃんはどうして車椅子に乗ってるの?」

 

調子に乗ってそんなことを訊いてしまったのが間違いだった。

しまった、と思った時にはもう遅くて、

「病気‥‥なんだ」

熊井ちゃんは悲しそうな顔をして俯いた。

 

「‥‥‥ごめん、変なこと訊いちゃって」

「ううん、いいよ。 頑張ればいつか治るかもしれないし」

 

頑張れば治る病気なの?

熊井ちゃんが自分の足で立って歩ける日は来るのかな。

いつか一緒に並んで歩きたいな。

 

 

私は、車椅子から伸びる熊井ちゃんの長い足を見つめる。

座っている状態でも、

熊井ちゃんの目線は私とあまり変わらない。

この長い足で立ち上がったら、

一体どれくらいの高さになるんだろう。

180cmくらいありそうだなぁ。

 

ついつい口が滑った。

「熊井ちゃんは身長何センチあるの?」

 

やばい!と思ったけど時すでに遅し、

「あぁ‥‥実はそれコンプレックスなんだよね」

熊井ちゃんがまた落ち込んだ。

 

 

# # #

 

 

今日は3学期の身体測定の日。

身長伸びてるかな?

この前、舞ちゃんに抜かされて凄く悔しかった。

少なくともちっさーには負けたくないなぁ。

 

「はぁー、やだなぁ、また身長伸びてたらどうしよう」

「大丈夫大丈夫、えりはモデルさんみたいで綺麗だよ」

「えへへ‥‥そうかな」

「私は体重が心配だなぁ」

「大丈夫大丈夫、舞美の体重は筋肉だから」

お互いをフォローし合っている舞美ちゃんとえりかちゃん。

 

「最近あたしちょっと太ってきたんだよねぇ」

「何それ、嫌味? 愛理なんかまだガリガリじゃん」

「栞菜はいいよね、胸があって。

 あたしなんかいつまでも平らなままだし」

「愛理に胸があったら変だよ」

「ひどーい。 自分は彼氏に揉んでもらって大きくなったからって」

ちくちくと僻み合っている愛理と栞菜。

 

「でへへへへへ」

「いっひっひっひっ」

「うきゃきゃきゃきゃきゃ」

ちっさーと舞ちゃんはジャージに着替えながら、

2人ではしゃいでいる。

このクラスも平和だなぁ。

 

 

ふと気づいた。

そういえば熊井ちゃん、どうするんだろう。

立てないのに、身長も体重もどうやって測るのかな。

ベッドに横になった状態で測るとか?

 

熊井ちゃんを見ると、一応ジャージに着替えていて

みんなと一緒に保健室の前に並んでいる。

車椅子に乗ったままだけど、なぜか少し緊張しているようだ。

 

「じゃあ身長を測りまーす。 C組の女子、入って下さーい」

 

保健の先生がそう呼びかけて、

クラスの女子たちはぞろぞろと保健室の中に入っていく。

熊井ちゃんも1番最後に入った。

 

 

「やったぁー! 2学期から3ミリ伸びてたー!!!」

「よかったねぇ、千聖。 ちなみに舞は3センチ伸びてたけどね」

「うわー、また差が開いちゃったよ」

 

ちっさーと舞ちゃんは相変わらずきゃっきゃとはしゃいでいる。

先生は手際よく生徒たちの身長を測っている。

列がどんどん進んでいく。

 

 

熊井ちゃんは車椅子の肘掛けを握りしめて、

唇をかみしめていた。

何かに怯えているようだ。

 

「熊井ちゃん、大丈夫?」

「うん‥‥」

「どうやって測るの?」

「まぁ、立たないと測れないよね」

「え?」

 

熊井ちゃんの言葉に違和感を覚える。

立たないと、って‥‥

その気になれば立てるみたいな言い方じゃない?

どういうことなのか訊ねようとした時、先生の声がした。

「次の人どうぞー」

 

突然、手をぎゅっと掴まれた。

 

「なかさきちゃん」

「どうしたの、熊井ちゃん」

「ちょっと私の手、握っててもらえないかな。 ‥‥‥怖いんだ」

 

私は戸惑いつつ、熊井ちゃんの手を握り返す。

「うん、いいけど‥‥立てるの?」

 

熊井ちゃんは目を閉じて、すうっと息を吸い込んだ。

熊井ちゃんの足が床につく。

前かがみになり、足元に力が入る。

握りしめた手に力が入った。

 

熊井ちゃんが立ち上がった。

 

「立った!」

「熊井ちゃんが立った!」

「でけぇ」

保健室のあちこちから驚きの声が上がる。

 

私たちは手を繋いで、身長計のところまで一緒に歩いていく。

熊井ちゃんは目を瞑ったままだ。

 

「段差、あるよ」

私が遠慮がちに伝えると、

熊井ちゃんは薄く目を開けて足元を確認し、

そっと身長計の上に乗った。

 

「えーと、178.3cmですね」

 

でかっ!!!!!

と思ったのも束の間、熊井ちゃんは計測が終わった途端、

身長計から慌てて飛び降り、

私の手を引っ張って車椅子のほうへと走っていった。

 

 

ドサッと勢いよく車椅子に腰を下ろして、

熊井ちゃんは安心したように息を吐き出した。

 

「はぁーーー、怖かった。 ありがとね、なかさきちゃん」

 

もう何が何だか分からない。

他の子たちも怪訝な目で熊井ちゃんを見ている。

 

熊井ちゃん、病気で歩けないんじゃなかったの?

今‥‥‥普通に立って、走ってたよね?

なんで車椅子使ってるの?

分かんないよ、私、熊井ちゃんが分かんないよ。

どうして言ってくれなかったの?

 

私はおそるおそる訊ねた。

「ねぇ、熊井ちゃんの病気って‥‥」

 

熊井ちゃんは、初めて見た時と同じ、はにかんだ笑顔で答えた。

「高所恐怖症なんだ」

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

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