強盗

 

 

 

 

 

私は地面に穴を掘っていた。
こめかみから汗がしたたり落ちる。
人1人がすっぽり収まる大きさの穴は、すでに深さ1m近くまで

達していた。
手を休めてため息をつく。
あぁ、無駄な労力を費やしてしまった。

私は穴の傍らに横たわる女の死体を一瞥した。

殺すつもりはなかった。
嘘じゃない。
こいつが家にいたことは、まったくの計算外だったのだ。

 

 

下調べは完璧なはずだった。
この辺りではちょっと名の知れた資産家で、

両親と娘1人、息子1人の4人家族。
毎週末、家族揃って母親の実家に里帰りする。

だから私はその週末の留守を狙った。
まさか長女が体調を崩して家に残っているなんて

予想もしていなかった。

運が悪かったのだ。
家族と一緒に出かけていれば、殺されずに済んだのに。


誰もいないと思って悠々と侵入した応接間に

この家の長女はいた。
突然の不審な侵入者に驚いて、彼女は金切り声を上げる。
私は咄嗟にテーブルの上にあったガラスの灰皿を掴み、

彼女の後頭部に振り下ろした。

 

 

とりあえず金目のものをかき集める。
ブランド物のバッグをひっくり返すと、財布や手帳と一緒に

車のキーがじゃらりと落ちた。
なんだ、車があったのか。 全然気がつかなかった。

応接間のカーテンを開けて外を見ると、

ガレージに黒のアウディが停められていた。
おそらく、この女の車だ。
まだ20代半ばだろうに、まったくもって贅沢な奴である。

好都合だ。 この車で逃亡してしまえばいい。
好きなだけ金品を奪って、ぴかぴかの高級外車も手に入るなんて

今日は大漁だ。

 

 

ただ問題なのは、この死体。
なるべく事を大きくしないためには、殺人はバレないほうがいい。
初めから捕まることは考えたくないが、

もし強盗殺人なんかで逮捕されたら人生終わりだ。

証拠隠滅。
私は血が床につかないように細心の注意を払いながら、

死体をずるずると家の外まで引きずっていった。
広い庭の隅にざくざくと穴を掘り、死体を埋める。
土は柔らかかったが、

人が入る大きさになるまでには思いのほか時間がかかった。

灰皿についた血痕は綺麗に拭き取り、不自然にならないように、

タバコを何本か吸って吸殻を入れておいた。

 

 

 

 

 

 

しかしこの日の私は、ことごとく油断していた。
失敗は重なるものなのだ。

上機嫌でアウディを走らせていると、

十字路から信号無視のトラックがぬっと現れた。
やばい、ぶつかる!
慣れない左ハンドルに一瞬戸惑った。
一瞬の判断の遅れが命取り。

必死でハンドルを切ったが、間に合わなかった。
「あああああああああ!!!」

私の乗ったアウディはそのままトラックに突っ込み、大破する。
ガソリンに引火し、燃え上がる。


熱い。 体が熱い。
皮膚がどろどろと溶けていくのが分かる。
右腕が変な方向に曲がっている。
太腿の肉が削げ、内部の白い組織が露出している。
苦しい。 息ができない。 ‥‥もうだめだ。

炎で真っ赤に染まる視界の中で、私は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

気がつくと、病院のベッドの上にいた。
「あ‥‥?」

ベッドの傍らに座っていた若い男が私を見て、目を見開いた。
「うわぁぁぁ! 姉ちゃんが起きたー!」

外の廊下が騒がしくなり、病室のドアが勢いよく開けられる。
血相を変えて飛び込んできたのは、初老の男女だった。

「圭っ!」

は?

駆け寄ってきた女性が私を抱きしめた。
誰だ、この人。

 

 

女性は泣きながら言った。

「圭、圭‥‥目を覚ましてくれたのね」
「‥‥‥?」
「あなた半年間も植物状態だったのよ」


ベッドに取り付けられた名札。
私は女性の腕の中でむりやり首を傾けて、それを覗き込む。
『 保田 圭 』 と書かれていた。

―――違う。
私の名前じゃない。 私の名前は藤本美貴だ。

何が起こっているのか分からない。
私を圭と呼ぶこのおっさんとおばさんは誰だ。
私を姉ちゃんと呼ぶこの男は誰だ。


3人は興奮しているのか、ぺらぺらと饒舌に喋り続ける。

 

 

「このまま目を覚まさなかったらどうしようかと思ったわ」
「姉ちゃんが交通事故で重体だって連絡が入った時は

 ほんとにびっくりしたよ」
「全身大火傷でね」
「顔もぐちゃぐちゃだった」
「私は絶望したよ、圭の美貌が見る影もなく失われてしまって」
「一生お嫁に行けないかと」

体が小刻みに震える。
この家族が、重大な勘違いをしていることだけは分かった。
でもどうすればいいのか分からない。


女性が私の両肩に手を置いた。

「でも安心して、圭」
「‥‥え?」
「あなたが眠っている間、全身整形手術を施したのよ」


初老の男性がにこにこしながら、手鏡を取り出して私に手渡した。
「ほら、顔も体も、すべて元通りだ」

 

 

鏡に映っていたのは、私が殺したはずの女の顔だった。

「ほんと、現代の技術はすごいわねぇ」
「火傷の痕も目立たないし」

3人が笑いながら話しているが、私の耳には入ってこなかった。
「あ‥‥う‥‥‥」
声が出ない。 言葉にならない。

誰だ。 鏡に映っているお前は誰だ。
‥‥私は誰なんだ。


「結構お金かかったのよー」
「姉ちゃんの入院費と整形代のせいで、うち今スッカラカンだよ」
「まぁいいじゃないか。

 娘の美貌を取り戻すためなら、金に糸目はつけないよ」


違う! 私はあんたたちの娘なんかじゃない!
これは誰の顔? 私は誰?
私の顔を、藤本美貴の顔を返して!

声にならない叫びが、頭の中でぐるぐるとこだまし続ける。

 

 

もう1度、鏡を見る。
自慢だった小顔も、高い鼻も、涼しい目元も、すべて失われていた。

ごつごつとエラの張った逞しい輪郭。
丸いだんごっ鼻。
鋭く吊り上がる、爬虫類のような離れ目。


これから私は残りの人生を、『保田圭』として生きていくのか。
私は絶望し、目を閉じた。


―――ただ、救いがないわけではない。
胸は少し大きくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

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