五月雨ロンリーガール

 

 

 

 

 

写真が嫌いだったお父さんのせいで、

私の手元には家族写真と呼べるものはたった1枚しかない。

 

私の七五三の時、わざわざスタジオに行って撮った写真だ。

お父さんは最初から乗り気じゃなかったけど、

「せっかく綺麗な着物着てるんだから、記念に写真くらい残しておきたいでしょ。

 あんたじゃなくて、えりかのために撮るの」

とお母さんに説得されて、渋々承諾していた。

 

娘の晴れ姿を前にしているのに、ぶすっとした表情のお父さん。

気取った感じで椅子に座って、よそ行きの顔のお母さん。

満面の笑みを浮かべながら、びしっと直立不動のお姉ちゃん。

そして真ん中には、着慣れない着物と髪の重さで心底疲れきった表情の、

6歳の私が立っている。

 

みんなが幸せだった頃。

お父さんは、「次に4人で撮るのは成人式の時だな」なんて言っていた。

結局それは永遠に実現しなかったわけだけど。

 

 

 

 

都会と違って、田舎の電車にはボックス席というものがある。

2人ずつ向かい合わせで座る4人掛けの座席だ。

私は水色のキャリーケースを足元に立てかけて、ボックス席にゆったりと座り、

流れていく田園風景を眺めていた。

 

駅に着いて、3歳くらいの女の子とその母親らしき人が乗り込んできた。

親子はきょろきょろと車内を見回して、こちらに目を留めた。

空いているのは、私の座っているボックス席の向かい側だけのようだ。

 

「ままー、がいじんさん」

「こら」

女の子が私の顔を見てそう言うと、母親が小声でたしなめる。

 

ま、いいけどね‥‥

昔から、初対面の人には必ず外国人もしくはハーフに間違えられたけど、

あいにく私は純日本人だ。

アラブ人とかイラン人とか、そんなあだ名をつけられるたびに傷ついた。

お姉ちゃんも私ほどじゃないけど派手な顔をしている。

地黒の私がアラブ人なら、色白のお姉ちゃんはロシア人だ。

「姉妹揃ってバタくさい顔しやがって」とお父さんがよく言っていた。

 

「ええと‥‥エクスキューズミー?」

母親が遠慮がちに、私に話しかけてきた。

「あ、すみません、どうぞ。 狭いかもしれませんけど」

私はキャリーケースをなるべく自分側に寄せて、親子の入るスペースを空けた。

 

母親は思いがけない流暢な日本語に面食らったらしく、

「あ、ありがとうござ‥‥じゃなかった、サンキュー、じゃなかった、あり、すみません」

だいぶ混乱しながら娘を促して、私の向かい側に座った。

 

「ほら、ありがとうございますって言うのよ」

「がいじんさんありがとごじゃります」

 

慌てる母親に、私は笑って「いいですよ」と言った。

日本語の上手な外国人のふりでもするか。

私も昔に比べれば寛容になった。

 

窓の外は、相変わらず田んぼと畑しかない。

 

 

 

 

電車を降りると、ふわっとゆるい風が頬をくすぐった。

からりとした五月晴れの青空。

日差しは強いのに、東京より涼しいのはなぜだろう。

キャリーケースを引きずりながら、屋根のないホームを歩く。

 

この季節にここに来るのは初めてだった。

今日はいつものように蝉の声は聞こえないし、ひまわりも咲いていない。

草と土の匂いは真新しくて、夏よりも優しく感じた。

 

お姉ちゃんと会うのは1年9ヶ月ぶりだった。

毎年、会いに行くのは夏休みと決まっていたけど、去年は私が受験生だったので

塾の夏期講習が忙しくて行けなかった。

晴れて大学生となった今、まだ5月だけど会いに行っていいことになったのだ。

 

ゆうべはわくわくして眠れなかった。

今日からお姉ちゃんのアパートに1週間泊まる予定。

あぁー、早く会いたいな。

綺麗で優しくてかっこよくて、何でもできる、自慢のお姉ちゃん。

私はお姉ちゃんが大好きだ。

 

お父さんとお母さんが離婚したのは、お姉ちゃんが高2、私が小5の時だった。

親権がどうのこうので散々揉めたらしい。

結局お姉ちゃんはお父さんに、私はお母さんに引き取られて、

それ以来ずっと別々の生活を送っている。

2年前にお父さんが亡くなったから、今はお姉ちゃんは1人暮らしだ。

 

私が中学生になってしばらくした頃、お母さんは別の男の人と再婚し、

今では種違いの弟も生まれて4人家族になった。

(私が「種違い」という言葉を使うと、お母さんは嫌な顔をする)

 

義理の父親は優しい。 弟も可愛い。

だけど、私にとっての父親はやっぱり血の繋がったお父さんのほうだし、

私にとってのきょうだいはやっぱりお姉ちゃんだけだ。

(弟は、きょうだいと言うより親戚の赤ちゃんという感じがする)

 

お母さんは、夏休みだけ、私がお父さんとお姉ちゃんに会いに行くのを許してくれた。

夏休みだけだからね、と何度も念を押された。

(お母さんいわく、年末年始やゴールデンウィークは「家族で過ごすべき」だから

 勝手に出かけちゃダメらしい)

それから8年間、年に1度の私の1人旅は続いている。

 

「あー! 来た! えりかー!」

改札の向こう側で、女の人がぴょんぴょん跳ねながら手を振っていた。

見覚えのあるジャージ、遠くからでも分かる白い肌。

 

「お姉ちゃーん!」

私はキャリーケースをガラガラ言わせながら、大好きなお姉ちゃんに向かって走る。

思うように速く動かない足がもどかしい。

いつもは諦めてるけど、この時ばかりは運動音痴な自分が憎い。

 

駅員さんに切符を渡して改札を走り抜け、お姉ちゃんに抱きついた。

「久しぶりー!」

「おおー! えりかは今年も可愛いなー!」

私は来たるべき次の接触を予測して、受け入れ態勢を取る。

 

「‥‥‥」

‥‥あれ?

予想に反して、お姉ちゃんはすぐに私から体を離した。

どうしたの?

いつもだったら、ここで「ええ乳してまんなー」が来るはずなのに。

 

私とお姉ちゃんは、外人顔で背が高いこと以外、あまり似ていない。

 

私は小学生の頃からメイクやファッションには人一倍気を遣ってきたけど、

お姉ちゃんは特別なことでもない限り、ジャージにすっぴん。

お姉ちゃんはスポーツなら何でも得意だけど、

私のほうは、体を動かすことに関してはふざけてるのかと思うくらい絶望的だ。

 

そして、昔から私はお姉ちゃんの真っ白い肌と引き締まった腹筋に憧れ、

お姉ちゃんは私の長い足と人並みレベルの胸を羨んでいた。

(お姉ちゃんは、おっぱいに関してはもはや将来性が皆無の年齢になっている)

 

こうして私が会いに来た時は、お姉ちゃんが私の胸をモミモミしながら

「お嬢さん、相変わらずええ乳してまんなー」と言うのが毎年の恒例行事だったのだ。

なのに、今日のお姉ちゃんはそれをしてくれない。

どうして? 私、今日もええ乳でしょ?

 

「ひとみさんの妹さん?」

随分下のほうから声がして、私はその声の聞こえたほうを見下ろした。

黒い頭が視界に入った。

 

その時になって初めて、お姉ちゃんが1人じゃなかったことに気づいた。

連れがいたのだ。

なにこれ? 小動物? ハムスター? なんでお姉ちゃんと一緒に来てんの?

あんた、お姉ちゃんの何なわけ? ‥‥あ、ペット?

 

小動物は、冷静な声で言った。

「よろしく。 ひとみさんの義理の妹です」

 

 

 

 

一昨年の冬、お父さんが亡くなって、お姉ちゃんは1人ぼっちになった。

お母さんはお姉ちゃんを引き取ろうとしたけど、お姉ちゃんはそれを頑なに拒否した。

 

「そっちはそっちで、もう新しい家族が出来上がってるじゃん。

 私がいきなり入っていったら、そっちのお父さんが気ぃ遣っちゃうだろうし。

 せっかくの幸せな家庭をぶっ壊したくないよ。

 だいたい私だって就職も決まったし、普通に自活できるんだからさ」

 

へえ、自活ねぇ。

あの時のお姉ちゃんの言葉を思い出して、私はじろりとお姉ちゃんを睨みつけた。

すでにその頃から、男とシケ込んでたわけね。

そりゃあ1人暮らしのほうが都合いいよねぇ、はー、なるほどねぇ。

 

「なんでそんな大事なこと言ってくれなかったの? 結婚したなんて」

 

車の中は険悪な雰囲気だった。

助手席でふんぞり返っている私とは対照的に、運転席のお姉ちゃんは

すっかり小さくなっている。

ついでに後部座席には、小動物(佐紀ちゃんというらしい)がちんまり座っている。

要するに、佐紀ちゃんはお姉ちゃんの夫の妹というわけだ。

 

「いや、お母さんには言ったんだけどさ‥‥電話で」

「なんで私には言わなかったの?」

「だってえりか、受験で大変そうだったし。 動揺させたら悪いと思って」

「お母さんにもそう言って、口止めしてたわけ?」

「うん、まぁ‥‥うん」

「お姉ちゃんの結婚ごときで私が精神不安定になって、大学に落ちるとでも?」

「‥‥いや、うーん‥‥」

「自分が妹に対してそこまで影響力のある人物だと」

「‥‥‥」

「自意識過剰」

 

「あのさぁ」

後ろから、小動物の面倒くさそうな声がした。

「今ひとみさん運転してるんだから、そんなに攻撃しないであげてよ。

 それこそ動揺して事故ったらどうすんの」

 

私は無言で、窓の外に目をやった。

電車で見たのと同じ、田んぼと畑しかない景色。

イライラする。

景色の野郎、私の気持ちも知らないで、のどかに構えやがって。

 

結婚どころか、お姉ちゃんに相手がいたことさえ知らなかった。

5年近く前から付き合っていたらしい。

今までお姉ちゃんは、私にはそんなこと一言も喋らなかった。

 

確かに、私たちは1年に1回しか会わない。

お姉ちゃんの私生活なんて、知らないことがたくさんあって当然だ。

‥‥でも、電話もメールもしてたじゃん。

どんな人と付き合ってるとか、いつ結婚するとか、そういう話くらい聞きたかったよ。

私、実の妹でしょ? 普通それくらい話すよね?

 

私はお姉ちゃんのこと、離れて暮らしてても大事な家族だと思ってたけど、

お姉ちゃんにとって私は他人みたいなもんだったのかな。

1年に1回だけ遊びに来る、ただのお客さんだったのかな。

 

交差点の赤信号で、お姉ちゃんは車を止めた。

 

私は横目でちらりとお姉ちゃんを見る。

お姉ちゃんは肩を落として、すっかりしょげ返っている。

私に怒られたのが相当こたえたようだ。

もう、下向いてないで前見なよ。

ほら、信号変わったよ、後ろの車に急かされてるよ。

 

これが私の自慢だったかっこいいお姉ちゃん?

なんか‥‥かっこ悪い。

 

あーあ、お姉ちゃんってば今日もすっぴんだし、変なジャージ着てるし。

せっかく美人なのに、なんでこんなに無頓着なんだろ。

しかもまた前髪ちょんまげにしてるし。

前髪伸びて邪魔なら、切るか流すかどっちかにしてよ。

うわ、よく見たら足元、健康サンダルじゃん。

もう最悪、超ダサい、信じらんない、こんな格好で外に出ないでよ。

っていうか車運転するのにサンダル履くとかバカじゃないの。

 

不信感が募るにつれて、お姉ちゃんの嫌な部分がどんどん見えてくる。

そんな自分も嫌になる。

大好きなお姉ちゃんってことには変わりないのに。

 

 

 

 

「そういえば、えりかちゃん、私と同い年なんだってね」

「はっ!?」

 

突然のハムスター(もとい佐紀ちゃん)の爆弾発言に、私はドン引きした。

同い年? 誰と誰が?

嘘でしょ、中学生くらいかと思ってた。

 

私は思わず振り向いて、後部座席の佐紀ちゃんをまじまじと見つめた。

ショートカットの黒髪、化粧っ気のない地味な顔立ち、コンパクトサイズのボディ。

肩幅とか、私の半分くらいしかないんじゃないの?

うわー‥‥この子と私が並んだらどっちかがビックリ人間だな。

 

そして、ハムスターはさらに信じられないことを口走った。

「そのわりにガキっぽいよね、えりかちゃん」

 

はあああああ??? 何言っちゃってんの? どっちがガキっぽいって?

「‥‥‥」

あまりのことに、私は言葉を失った。

偉そうに足を組んだ佐紀ちゃんは、クールなため息をついて言った。

 

「まぁ確かに、妹に何も言わずに結婚なんかしちゃったひとみさんも悪いけどさ、

 えりかちゃん少しは祝福したら?

 社交辞令でも、とりあえず一言おめでとうって言っときなよ。

 知らない奴らにいきなりお姉ちゃん取られて、悔しいのも分かるけどね。

 そんなにすねちゃって、子供みたい」

 

「すねてないもん! 怒ってるんだもん!」

言った瞬間、まさにガキみたいな口調になってしまったことに気づいて

私は死ぬほど後悔した。

 

案の定、佐紀ちゃんがバカにしたように笑った。

隣を見ると、お姉ちゃんもにやにやしている。

「笑ってる場合じゃないでしょ! 元はといえばお姉ちゃんが悪いんだからね!」

お姉ちゃんはしゅんとして「ごめん」と言った。

 

佐紀ちゃんの爆弾発言は畳みかけるように続く。

「あ、ひとみさん、途中でスーパー寄ろうよ。 キャベツ買っとかなきゃ」

 

何その言い方、まるで一緒に住んでるみたいな‥‥

‥‥と、私はここでようやく大変なことに思い当たった。

 

お姉ちゃん、結婚したんだよね。

ってことは、今、旦那さんの家族と一緒に住んでるんだ。

‥‥あれ?

じゃあ、この車は今からどこに行こうとしてるの?

私、今日どこに泊まるの?

 

「お姉ちゃん、車止めて!」

「へい!」

お姉ちゃんはびっくりしたように返事をして、車を道路の端に寄せた。

 

「あのさ、私って今日から1週間、どうすればいいの?」

「え?」

「今、お姉ちゃんの家はどこなの?」

「‥‥あ、そうか、忘れてた」

「はあ?」

「いやごめんごめん、言おうと思ってたんだけどさ」

「まさかとは思うけど」

「うん、あのね、私の旦那の、つまり佐紀ちゃんのお兄さんの」

「それ以上言わなくていいっ!!!」

 

お姉ちゃんは泣きそうな顔で、「ごめんね」と呟いた。

なんだかもうアホらしくなってきて、私はぼんやりと窓の外を眺めていた。

 

そっか、私、このままだったら知らない家族の中に放り込まれるところだったんだ。

今気づいてよかった。

さっきのお姉ちゃんの言い方からして、夫の実家に住んでいるんだろう。

夫と佐紀ちゃんだけじゃなく、お舅さんもお姑さんもいるわけだ。

完全に他人の家だよね、私が泊まれるわけないじゃん、お姉ちゃんのバカ。

 

父、母、息子、娘、そして息子の嫁。

何の不思議もない5人家族。

なんだ、お姉ちゃんにはもう家族がいるんだね。

私、どこからどう見てもよそ者じゃん。

 

幸せな家庭に、ある日突然、嫁の妹と名乗るアラブ人が押し掛けてくる。

アラブ人(えりか)は初対面のくせに、1週間も泊まるつもりらしい。

嫁(ひとみ)は双方に気を遣うが、家庭内には気まずい空気が流れ始めた。

苦い顔をする夫、嫁に嫌味を言う舅と姑、アラブ人をいじめる小姑(佐紀)‥‥

 

そこまで妄想したところで、悲しくなって涙が滲んできた。

視界がぼやける。

私、こんな田舎まで何しに来たんだろう。

お姉ちゃんと2人で楽しく過ごすはずだったのに。

お姉ちゃんと一緒にいるだけで、幸せだったはずなのに。

 

「帰る」

私は乱暴にドアを開けて、車から降りた。

「ちょっと、えりか‥‥」

お姉ちゃんが慌てて運転席から出てくる。

 

「お姉ちゃん、トランク開けて」

「えりか、ちょっと待って、ごめんってば」

「荷物出してよ。 私、帰るから」

「大丈夫だよ、旦那のお父さんもお母さんも優しい人だよ」

「そういう問題じゃない」

「泊まってもいいって言ってたし」

「そっちがよくても私が嫌なの」

「ほら、佐紀ちゃんだっているし、同い年だし」

「ずっと思ってたんだけどお姉ちゃんってバカだよね」

「‥‥‥」

「帰る」

「いや、そうだね、バカでごめん、でも帰るなんて言わないで」

「やだ、絶対帰る」

「‥‥‥」

「‥‥‥」

「‥‥じゃあ車乗りなよ、駅まで送るから」

「いい。 歩いてく」

「だって駅遠いよ。 荷物もあるし大変でしょ」

「いいってば、歩けるもん」

「そんなこと言って、えりか体力ないじゃん。 すぐ疲れちゃうくせに」

「疲れないもん!」

「でも」

「いいっつってんの! もう! うざい!」

「えりか」

「もうやだ! お姉ちゃんなんか大っ嫌い! 顔も見たくない!」

 

‥‥お姉ちゃんの眉毛がハの字になって、口がヘの字になって、鼻が赤くなって、

あ。 泣く。

と思った瞬間、私はくるりと踵を返して駆け出していた。

お姉ちゃんが泣くところは見たくなかった。

 

車の中にいた佐紀ちゃんと、一瞬だけ目が合ったような気がする。

どうでもいい。

私は走り続ける。

駅に向かっているのか、それとも全然違う方向なのか。

どうでもいい。

涙が横に流れていく。

あ、荷物、車のトランクの中だ。

どうでもいい。

とにかく走って走って走って、あの人たちから見えない、どこか遠くに行きたい。

 

ああ、なんで私ってこんなに足が遅いんだろう。

お姉ちゃんみたいに、風のように走りたい。

 

 

 

 

誰も追いかけてこなかった。

私は立ち止まって、そっと後ろを振り返る。

 

川沿いの道路はどこまでも真っ直ぐ伸びていて、歩いている人もまばらだ。

犬を2匹連れてジョギング中のおばさん。

杖をつきながら、冗談みたいにゆっくりなペースで散歩中のおじいちゃん。

土手に座ってお弁当を広げている親子。

河川敷では、いい年したおじさんたちが草野球に興じている。

誰も私のことなんか見ていない。

 

お姉ちゃんが普通に走れば、私なんかすぐ追いつかれちゃうはずなのにな。

そういえば佐紀ちゃんは小柄ですばしっこそうだった。

バネを感じさせる体つきというのは、パッと見でなんとなく分かる。

きっと私と違って運動神経もいいんだろう。

 

昔、この河川敷でお姉ちゃんとキャッチボールをして遊んだ。

遠投力50メートルを誇り地区大会の記録保持者というお姉ちゃんに対して、

私のソフトボール投げの記録はなんと6メートルである。

私は、お姉ちゃんが近くからぽよんと投げてくれるボールも全然キャッチできなくて、

結局それ以来キャッチボールで遊ぶことは2度となかった。

 

でも、今は佐紀ちゃんがいるもんね。

お姉ちゃんは佐紀ちゃんと仲良くキャッチボールすればいいよ。

一緒にスポーツして遊べる妹ができて、お姉ちゃんも嬉しいんじゃない?

 

抜けるような青空が爽やかすぎて憎たらしかった。

呑気に歩いている周りの人たちにも腹が立つ。

どうせみんな私の気持ちなんか分かってくれないんだ。

こんなに晴れているのに、私の心の中は大雨どしゃ降り洪水警報、雷付きだ。

 

私は川沿いの土手に腰を下ろした。

 

なんだか、どっと疲れた。

怒るという感情は、実にエネルギーを使う。

それに、私は普段は人に対してあまり怒ったりしないのだ。

なのに今日、よりによってお姉ちゃんと喧嘩するなんて。

 

そのままごろんと仰向けになる。

ふさふさした芝生が気持ちよかった。

 

泣いて目が腫れたせいか、だんだん眠くなってきた。

あー、やばい、ほんとに寝そう。

こんなところで若い女が1人で寝てたら危ないよね。

‥‥でも、もうどうでもいいや。

私は諦めて目を閉じた。

 

 

 

 

ガラガラガラガラガラガラ‥‥

ボス!

ゴロゴロゴロゴロ‥‥

 

何だよ、うるさいな‥‥

妙な音が近づいてくるのを感じて、私は目を覚ました。

って、うわ、私ほんとに寝ちゃってたのか。

 

真上に見える空はまだ明るいけど、さっきより日が陰っている。

風は相変わらず優しい。

でも、半袖だと少し肌寒かった。

ひんやりした二の腕をさすりながら起き上がろうとすると、

聞き覚えのある声がした。

 

「エクスキューズミー?」

 

私は起き上がるのをやめて、また芝生にごろんと横になった。

「ちょっとちょっと、無視しないで下さいよ。 すみません、エクスキューズミー」

私は、ふふっと笑って目を閉じた。

「オウ、ユーアースリーピー」

私は何も答えずに寝たふりを続ける。

「ヘイヘイ、ウェイクアップ」

そろそろアドリブ英語のレパートリーが尽きてくる頃だ、だってこの人はバカだから。

「ヘーイ、プリティ・アラビアン・ガール」

 

「誰がアラブ人だ」

 

私は、わざと不機嫌そうな顔を作って起き上がった。

「あ、起きた?」

お姉ちゃんは仁王立ちして、わっはっは、と笑った。

お姉ちゃんの横には、水色のキャリーケース。

さっきのうるさい音はこれか。

 

「もうお姉ちゃん、今頃何しに来たの」

「迎えに来たの。 そろそろえりかが疲れてくたばってる頃かと思ってさ」

「くたばってないよ」

「寝てたじゃん」

「目ぇ瞑ってただけだもん」

 

お姉ちゃんは、私の隣に腰を下ろした。

「えりか、もう怒ってないの?」

「‥‥怒ってるよ」

「嘘だー、顔が笑ってるもん」

「バレた」

 

私は、お姉ちゃんの肩にこてんと頭をもたせかけた。

「えりかは可愛いねえ」

「知ってる」

ふんわり香る、お姉ちゃんの匂い。

私はお姉ちゃんの首すじに鼻をこすりつけて目を閉じる。

 

ちょっと前まであんなに腹が立っていたはずなのに、

私の中から怒りはすっかり消えていた。

今、お姉ちゃんが隣にいることが嬉しかった。

我ながら簡単な人間だな、私。

 

「佐紀ちゃんとさぁ」

「え?」

「仲良くしてあげてよ」

「‥‥‥」

「佐紀ちゃん、さっきはあんまり愛想なかったけどさ、たぶん恥ずかしかっただけだよ」

「そうかな」

「私に自分と同い年の妹がいるって聞いて、すごい楽しみにしてたんだよ、えりかに会うの」

「‥‥そうなんだ」

「えりかも佐紀ちゃんも私の大事な家族だから、仲良しのほうが嬉しいな」

 

お姉ちゃんはそう言ってから自分で恥ずかしくなったのか、

げへんげへんと咳払いをして、

「いやー、お嬢さん、相変わらずええ乳してはりますなぁー」

私の胸をもにゅもにゅしてきた。

 

私も負けずにお姉ちゃんの胸に食らいつく。

「いやー、お姉さんは相変わらず可愛らしいおっぱいですなぁー」

私たちは乳を揉み合いながら土手をごろごろ転がった。

通りすがりの人たちが変な目で見ていた。

 

「私だって何年か後にはええ乳になってるもんね!」

「え、なんで?」

「子供産んだら巨乳になるじゃん」

「一時的にでしょ」

「ぬ‥‥」

「それにお姉ちゃんじゃたかが知れてるよ」

「‥‥あんた生意気になったなぁ」

 

―――お姉ちゃんと一緒に土手を転がり落ちながら、

私はふとお母さんの顔を思い出した。

お姉ちゃんには家族がいる、そして私にも家族がいる。

 

来年の私の成人式には、一家揃って写真を撮ろう。

私と、お母さんと、弟と、新しいお父さん。

家族4人で写真を撮ろう。

振袖は、お姉ちゃんからのお下がりで。

 

 

 

 

 

 

 

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