番長

 

 

 

 

 

泣くか、怯むか、無視するか。

最初の反応がその後の力関係を決定づける。

4月は探り合いの季節だ。

 

この中高一貫の女子校で、それはもはや伝統となっていた。

特に目立つ行事もない、女だらけの鬱屈した空間で、欲求不満の

生徒たちにとって唯一の楽しみが新任教師いびりだった。

 

 

もちろん、可愛くて賢くて人格者で優等生の私、嗣永桃子は

そんなことには加わらない。

こういう時は、とにかく傍観者に徹するのだ。

 

そして授業は真面目に、休み時間はにこやかに、

放課後は積極的に先生のところへ行って勉強の質問をする。

プラスのことはしても、マイナスのことはしない。

そのほうがお互い得なんだから。

 

先生たちに媚びを売る私を嫌う子もいたが、所詮は僻みである。

高校生という子供の立場をわきまえてうまく立ち回るには、

まずは大人に気に入られることが最優先。

大人は敵対するものではなく、利用するものなのである。

 

 

 

 

今日も1人の教師が被害に遭った。

2時間目、今年初めての化学の授業。

 

教室の前の扉に黒板消しを挟んでおくという小学生レベルの

いたずらだったのだが、

その新任女性教師は見事なまでに引っ掛かった。

 

「きゃあ!」

黒板消しを頭のてっぺんで受け止めてチョークの粉まみれに

なった姿は、さながらコントのようであった。

 

教室の中は爆笑の渦に‥‥巻き込まれない。

狡猾で陰湿なくすくす笑いが、教室のあちこちから小さく漏れる。

頭から肩まで粉で真っ白になった女性教師は、

ただ呆然と立ちつくしていた。

 

 

「似合ってるよ、石川せんせー」

椅子にふんぞり返った清水佐紀がバカにしたように笑う。

 

「なんか先生黒すぎるからさぁ、美白したほうがいいと思って」

色黒の徳永千奈美が自分のことを棚に上げて言う。

 

「感謝してよねー」

クラスで1番美人の夏焼雅が、

長いアゴを隠すように頬杖をつきながら言う。

 

2年C組を仕切っているのは、陰で悪の枢軸とも囁かれている

この3人だった。

 

「み、み、みんなひどーーーい!!!」

石川先生は超音波のような声で泣き叫びながら、

教室から飛び出していった。

 

2時間目の化学はめでたく自習となった。

 

 

 

 

「あー、だるっ」

「次って何だっけ」

「世界史でしょ、吉澤の」

 

休み時間、化粧直しをしながら悪の枢軸が喋っていた。

自習で散々好き勝手遊んでたくせに、何がだるいと言うのか。

 

「吉澤? ‥‥って誰だっけ」

「新しく来た奴」

「あ、マジ? じゃあ準備しないと」

 

哀れ、3時間目の教師も奴らの餌食である。

 

世界史担当の吉澤先生は、色白の美人だった。

確かサッカー部の顧問になってたような。

始業式での新任教師の挨拶では、にこにこしながら

ソビエトとかゴルバチョフとか横文字を無駄に連呼していて、

言っちゃ悪いけど見るからに頭の悪そうな人だった。

 

今日だけで2人の教師が、いびりという名の洗礼を受ける。

アーメン。

 

 

 

 

考える暇がなかったせいか、悪の枢軸が仕掛けたのは

今回も黒板消しだった。

 

「来た来た!」

廊下を覗いていた千奈美が嬉しそうに声を上げて、

すぐに顔を引っ込める。

 

スタスタスタスタ。

足音が近づいてきて、教室の前で止まる。

ガラガラガラッ。

ドアは躊躇なく開けられた。

ぼふん!

黒板消しは見事に吉澤先生の脳天を直撃した。

 

 

さっきと同じように、教室のあちこちから

くすくすと笑いが漏れる。

 

でもチョークの粉まみれになった吉澤先生は、

黒板消しを器用に頭の上に載せたまま、立ち止まらずに

すたすたと教卓まで歩いてきた。

 

あれ? 何だ? なんで? 反応なし?

教室の中は微妙な空気に包まれる。

 

千奈美は拍子抜けしたようにぽかんと口を開け、

雅は怪訝そうに首をかしげ、

佐紀は不機嫌そうに眉をしかめた。

 

可愛くて賢くて人格者で優等生の私も、

ついつい目を丸くして吉澤先生を見つめてしまった。

 

 

吉澤先生は頭に載っていた黒板消しを教卓に置くと、

呆れたように言った。

 

「あんたたちさぁ、だいたい芸がなさすぎるんだよ。

 さっき別の先生にも同じことしてたでしょ」

 

戸惑いつつも、佐紀が精いっぱい平静を装って言う。

 

「へぇー、じゃあなんで避けなかったんですか?

 予想できてたんなら、わざわざ引っ掛かって

 そんな間抜けな姿になることないと思いますけど」

 

 

吉澤先生はにやりと笑った。

「バカめ。 こっちだって丸腰じゃねえんだよ」

 

吉澤先生はおもむろに

白くて長い10本の指を黒板に突き立てると、

 

 

キキキキギゲグギギイイィイィイイイィイイイイイ!!!!!

 

 

 

 

泣くか、怯むか、無視するか。

吉澤先生はそこに 「反撃する」 という選択肢を付け加えた。

 

最初の反応がその後の力関係を決定づける。

その日から、吉澤先生は

番長として2年C組に敬われるようになった。

 

 

※ 石川先生は退職した。

 

 

 

 

 

 

 

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