高校のクラスメイトの絵里がある日突然遺体で発見されてから、

1年が過ぎた。

絵里は背中を何ヶ所か刃物で刺されて、空き地の草むらに捨てられていた。
犯人はまだ捕まっていない。
それどころか、何の手がかりも見つかっていないそうだ。

絵里は家庭でも学校でも、人間関係に問題があるわけではなかった。
そうすると男関係のトラブルを疑うのが自然だけど、

1番仲の良かったさゆでさえ、まったく 心当たりはないと言う。


平和だった町は大騒ぎになったし、学校もその事件の噂で持ち切りだった。
絵里と仲良しだった子の中には、

ショックで学校に来れなくなった子も何人かいた。
でも、1年が経った今ではその話題を持ち出す人はほとんどいなくなり、

絵里の存在も少しずつ忘れ去られている。

 

 

 

 

「あ、田中さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
帰りのHRが終わって教室を出ると、数学の村田先生に呼び止められた。
「はい?」

村田先生は相変わらず物憂げな瞳で、口元に微笑をたたえながら言った。
「今日、道重さん風邪で休んでたでしょ?

 宿題のプリント届けてあげてくれないかしら」
「あ、はい、いいですよ」
「ごめんなさいね、こんなこと頼んじゃって」


別に謝るようなことではない。
さゆのマンションはちょうど私の帰り道の途中にあって、

届け物をするくらい大した手間 じゃないから。

それにしても、なぜ日本人というのはお礼を言う場面で

謝罪の言葉が出てくるんだろうか。
謝られるより感謝されたほうがよっぽど気分がいいのに。

 

 

 

 

よく知らないけど、さゆは家庭の事情で1人暮らしをしているらしかった。
「高校生で1人暮らしとか大変やね。 料理とか洗濯とか面倒やなかと?」
以前そう訊ねたことがある。
さゆは、「何でも自分の好き勝手できるし、案外気楽でいいもんだよ」

と言って笑っていた。


住宅街の続く道をしばらく歩き、さゆの住んでいるマンションに着いた。
階段を上り、廊下を進み、さゆの部屋の前まで来た。
チャイムを鳴らす。

返事はなかった。
風邪をひいて学校を休んだわけだし、今は寝ているのかもしれない。
もう1度鳴らしてみる。
やはり返事はない。

 

 

ふと、ドアに付いている覗き穴が目に入った。
「‥‥あれ?」

私は思わず眉を寄せた。
覗き穴にレンズがはめ込まれていない。
指を突っ込んでみる。
向こう側に貫通。

「うわ、何やこれ。 外から覗き放題やん」

本来、中から外を見るためだけに付いている覗き穴。
それが、不特定多数の人間が外からも中のプライベートを覗き見る

ことができてしまうという非常に物騒なものになっていた。
危ない危ない。 さゆに早く教えてあげなきゃ。


そんなことを思いながらも、私は無意識にそこを覗いてしまっていた。

 

「ひっ」

自分の目を疑った。

部屋の中では、死んだはずの絵里と、包丁を持ったさゆが揉み合っている。
さゆは絵里を壁に突き飛ばし、怯んだところを素早く後ろに回りこんで、

絵里の背中に 思いっきり包丁を突き立てた。

「ひゃぁっ!」

私は思わず悲鳴を上げた。
その瞬間、覗き穴の向こうは真っ黒になり、何も見えなくなった。


がちゃり。
鍵の開く音がして、私は驚いて飛びのく。

ドアが開いた。
眠そうな顔をしたさゆが、そこに立っていた。

 

 

「さ、さゆ‥‥」
「あれ、れいなじゃん。 何? どうしたの」

さゆはきょとんとして、不思議そうに私の顔を見た。
普通だ。 いつも通りのさゆだ。
ほっとして胸を撫で下ろした。 私は夢をみていただけかもしれない。

かばんの中から、先生に手渡されたプリントを取り出す。
「これ、村田先生に頼まれたっちゃ」
「あーそっか、宿題? わざわざありがとう」
「別に通り道だからよかよ」

さゆは柔らかく微笑んだ。

「せっかくだから上がっていきなよ」
「え‥‥でも、さゆ風邪ひいとるんやろ?」
「あはは、平気平気、れいなにうつさないから安心して」
「いやっ、そういう意味やなくて‥‥」
「さゆみは平気。 もうだいぶ具合良くなってきたし」

 

 

さゆの言葉に甘えて、私は部屋に上がらせてもらうことにした。
この部屋には何回か遊びに来たことがあるけど、

相変わらずピンク基調でファンシーな可愛らしい部屋だった。


もちろん絵里はいない。 家具の乱れもない。 血しぶきもない。
さっき覗き穴から見たのは、やっぱり夢だったんだ。

私は急におかしくなって、キッチンで紅茶を淹れているさゆに話しかけた。

「さゆさゆ、れいなさっき変なもの見たとー」
「ん? 何?」
さゆは背中を向けたまま答えた。

「ドアの覗き穴から覗いたら、絵里とさゆが喧嘩してたっちゃ」
「え?」
「それで、さゆが絵里の背中に包丁刺しとった。 あはは」
「‥‥‥」
「こんな変な幻見るなんて、れいな病んどるかもしれん」
「ふふ、ほんとにね。 いきなり何言い出すんだろうってびっくりしちゃった」
「絵里はもうおらんのにね」
「うん‥‥」

さゆは笑って頷いて、少し淋しそうにため息をついた。

 

 

しまった、と思った。
殺された大事な友達のことを、軽々しく笑って話すべきじゃなかった。
これだから私は空気が読めないと言われるのだ。

「ご、ごめん、さゆ‥‥」
「‥‥気にしなくていいよ、れいな。

 いくら悲しんだって絵里はもう帰ってこないからね」

気まずい空気が流れた。
ああ、もう嫌だ。
なんで私はこう失言が多いんだろう。


私は雰囲気を変えようと、無理に笑顔を作って立ち上がった。
「そ、それにしてもあの覗き穴、外から丸見えやけん危なか。

 レンズが外れとう」

私はキッチンにいるさゆの前を通って、玄関へと向かった。
覗き穴を指差す。
「ほら、これ‥‥」
そう言いながら、私は何気なくそれを覗きこんだ。

 

 

「‥‥え?」

そこから見えたのは、慌てて部屋のドアから出て行く私自身だった。
部屋の前のマンションの廊下。
逃げようとする私の肩を、さゆが掴む。
さゆが私の背中に包丁を突き刺す。
脱力した私の体を抱えて、部屋の中に引きずり込むさゆ。


その瞬間、私はすべてを理解した。

不思議な覗き穴。
さっき部屋の外から覗いて目撃したあの光景は、“過去”だ。
絵里を殺したのはさゆで。

今、部屋の中から‥‥つまりさっきと反対側から覗いて見えている

光景は“未来”だ。
‥‥私はこのあと、さゆに殺される。

 

 

背すじがすぅっと凍りつき、全身から血の気が引いた。
ゆっくりと振り返る。

キッチンから、無表情でこちらを見ているさゆ。
さゆは驚くほど自然な仕草で、そばにあった包丁を手に取った。
私は1歩も動けず、ただドアにへばりついているだけだ。


恐怖で膝が震えた。

さゆは静かに、ゆっくり私のほうへ近づいてくる。
そして、にっこりと微笑んだ。

「‥‥見たでしょ?」

 

 

 

 

 

 

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