初体験
人けのない放課後の校舎。 窓から差し込む夕日が2人をオレンジ色に照らし出す。 完全
下校時刻が迫っていた。 屋上へと続く階段の踊り場で、矢口真里は後ろから吉澤ひとみを抱
きしめる。 突然の出来事に、吉澤は体を硬直させている。
矢口にはもう立場や世間体など気にしている余裕はなかった。 こうして、禁断の恋へと1歩
踏み込んでしまったのだ。 ――運命の歯車がぎしぎしと重苦しい音を立てて回り始める――
「・・・矢口先生、ほんとに私でいいんですか?」
「やだなぁもう、今さらこんなこと言わせる気? オイラはよっすぃ〜『で』いいんじゃなくて、よっ
すぃ〜『が』いいんだよ☆」
教師と生徒、しかも女同士・・・。 周囲から白い目で見られることは分かり切っている。 だが
しかし、2人の燃えるような愛はもう止められなかった。
矢口は幸せそうに、吉澤の背中に顔をうずめる。 吉澤は信じられないといった表情で、俯い
たまま言葉を絞り出す。
「嬉しい・・・ずっと私の片想いだと思ってたから。 先生は私のことなんか相手にしてくれないと
思ってた」
「オイラだって同じだよ、よっすぃ〜こそモテるし・・・」
「そ、そんなことないです! それに私はあの時からずっと・・・1年生の2学期からずっと、矢口
先生たった1人だけを見つめてきたんですから」
「オイラなんか入学式の時からずっとだよ☆」
「なんだ、じゃあ先生のほうが先だったんですね」
「そうだね☆ きゃはは」
「先生の笑い声って、甲高くてよく響いてカワイイですよね」
「そうかな☆ きゃはは」
《ピンポンパンポーン・・・》
2人のロマンティックな時間を引き裂くように、無機質な校内放送が流れ始める。
《間もなく18時です。完全下校の時間です。部活をしている生徒、校内に残っている生徒は、
速やかに下校して下さい》
まだ離れがたいという気持ちはあったが、矢口は大人の理性でその気持ちを打ち消そうとす
る。 もう1度吉澤をぎゅっと抱きしめた後、矢口は自分から離れ、わざと明るい声で言った。
「ほらほら、子供はおうちに帰る時間だぞ☆」
「・・・はーい」
吉澤は名残惜しそうな顔をしたが、諦めたように階段を降り始めた。 矢口も吉澤の後に続
く。 夕日に染まった階段に、背の高い生徒と背の低い教師の影が長く伸びている。
矢口は吉澤の後ろ姿を見下ろして歩きながら、何やら新鮮な気持ちになった。 小柄な矢口
と長身の吉澤の間には20センチの身長差があるため、普段、吉澤のつむじを見る機会など
無いのだ。
「よっすぃ〜、ちょっとストップ!」
矢口が叫ぶ。
「え?」
吉澤が階段の途中で立ち止まって振り向いた。
矢口は少しだけ腰をかがめると、吉澤の肩に手を置いて素早くキスをした。
「せっ、先生・・・っ」
吉澤は顔を真っ赤にして慌てている。
「エヘ☆ 両想いの記念だよ☆ いきなりキスなんて、コドモのよっすぃ〜にはちょっと刺激が
強かったかな☆」
矢口はそう言ってウインクをして、大人の余裕を見せた。
吉澤はムッとした表情でしばらく黙っていたが、すぐに矢口を見上げると爽やかな笑顔で言い
返した。
「先生、次からはディープなやつでお願いします」
今度は矢口が真っ赤になる番だった。
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光井愛佳は満足げにほくそ笑んだ。
我ながら完璧や。
放課後。 教師と生徒。 身長差。
そして、身長差カップルの王道シチュエーション、段差利用キッス。
‥‥これで萌えへん奴はおらんやろ。
光井の萌えの全てをそそぎ込んだ力作だった。
モーニング娘。の他のメンバーと娘。小説の話をすることもあるが、
吉澤絡みのCP論争になると、必ずいしよし派とよしごま派に分かれてしまう。
よしごま派の勢力は最近衰えてきたものの、
やはりいしよしに対抗できる有名カップリングはよしごましかない。
光井のようなやぐよし萌えはごく少数派なのだ。
まだ娘。に加入したばかりの頃、光井は先輩メンバーに推しCPを訊かれて
素直に「やぐよしですかねえ」と答えてしまったことがある。
楽屋の空気が凍ったのが分かった。
その日、光井はいしよし派の先輩たちから集団リンチを受けた。
しかし光井としては、いしよしもよしごまもしっくり来ないのだ。
それ以来、吉絡みの推しCPを訊かれた時は「吉里アヤ」と答えるようにしている。
こう言うと、なぜかいしよし派もよしごま派も突っかかってこない。
光井はひとつ大人になった。
川=´┴`)
今まで飼育の企画に参加したことは何度かあったが、
このようなヲタ主催の個人企画に参加するのは今回が初めてだった。
大先輩、吉澤ひとみの誕生日を祝う企画である。
主催者は年季の入った吉ヲタのおじさんだ。
光井は少々緊張しながら、この力作の投稿に取りかかった。
掲示板の上部のスレッド作成欄に、必要事項を入力していく。
タイトルは、『アブナイ♥放課後 〜ディープなキッスはまだ早い!?〜』
道重には「ラノベっぽい」と貶され、久住には「ださい」と笑われたが、
光井自身は結構センス溢れるタイトルだと自負している。
だいたいあの人たちは批判するか嘲笑するしか能がないんや。
低学歴の分際でこの大天才・愛佳様に意見しようなんぞ笑止千万。
身の程知らずもええとこやで。
名前欄には何も記入しない。
ここは狼ではないので、fusianaされる心配もない。
これまでの経験で、企画に投稿する際はHNを名乗らないということを学んだ。
企画終了後のカミングアウトも楽しめる。
ちなみに飼育での光井のHNは「☆井♡佳」である。
川=´┴`)
モーニング娘。は、じわじわと迫ってきていたAKB48にこの1年で一気に抜かされ、
今では大きく水をあけられてしまった。
世間的にはもうアイドルの世代交代がとっくに完了している。
モーニング娘。という単語自体が死語であり、
モーニング娘。の曲は、もはや全てがナツメロ扱いされていた。
すっかり仕事が減り、毎日暇を持て余している娘。メンバーたちの間では、
最近もっぱら娘。小説が流行している。
コンサートなど数少ない仕事の合間でも、娘。の楽屋は静まり返っている。
みんな携帯で飼育の小説を読むのに夢中なのだ。
豆太郎こと新垣は、飼育で雑談スレや他のスレに読者としてレスする時も
律儀に名前を入力している。
ちなみに豆太郎は、幻板でなちガキのファンタジーを書いている。
田中(★博多娘★)は板を間違えたらしく案内板で田中総受けのエロ小説を
書いていたが、悪質な宣伝業者と判断され、スレごと削除された。
読み専の高橋(アイチュン)も新垣と同じく読者レスで名乗る派なのだが、
未だにsageの意味が理解できずいつもageてしまうので、
他の読者から不評を買っている。
ちなみに、メール欄にはもちろん高橋愛の本物のメールアドレスが入力されている。
その点、読み専歴7年の亀井はしっかり読者の立ち位置を把握していて、
コテハンは決して使わない。
ちなみに前述の★博多娘★のスレを通報したのは亀井である。
自スレでさえHNを明かさない主義の道重は、水板でれなえり小説を書いている。
愛憎渦巻く大長編で、先日めでたくPart6に突入した。
発想力豊かな久住(ドクター☆コハ)は頻繁に新スレを立てるのだが、
全て未完のまま放置されている。
ジュンジュン(JJ♪)は、果敢にも片言の日本語で亀ジュン小説を書き始めた。
しかし、「内容よりも文章力が気になって萌えません」という読者レスに腹を立て、
早々に断筆宣言をしている。
リンリンはジュンジュンの例を見ているため、スレ立てには慎重だ。
楽屋では「ワタシまだ日本語勉強中デース」「あと3年ROMりマース」などと言って、
ジュンジュンの神経を逆撫でしている。
ちなみにJJ♪を引退に追い込んだ読者レスはリンリンによるものである。
川=´┴`)
真面目な光井は、投稿する前にもう1度企画の概要を読み返す。
決められたことは守っているはずだ。
お題の「@ディープキス」というテーマも、うっすらと匂わせた。
(もともと濃厚エロ小説が得意な光井はがっつりディープキスを書くこともできるのだが、
初めての個人企画投稿ということで、今回は無難な爽やか路線でまとめた)
「A昔懐かしの娘。小説」という自信もある。
やぐよしなど、何年も前から光井以外は誰も書かなくなってしまった。
昔懐かしと言うにふさわしい、ノスタルジックなCPである。
これこそ主催者のおっちゃんが求めていた小説やで。
もし順位付けがあったとしたら、カンペキ優勝できるレベルやろ。
その他のルールもしっかりクリアしていることを確認し、
光井は、満を持して投稿ボタンを押した。
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スレッド作成規制中!
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光井は心折れた。
おじさんがようやく気づいて規制を解除したのは、
その1週間後のことであった。