乾燥機

 

 

 

 

 

「そういえばさ、2週間くらい前に乾燥機が壊れちゃったんだよね。
 ま、実際あんまり困ってないんだけど」


番組収録が一緒になった日の帰り、

久々にお喋りでもしようと思い、私とよっすぃ〜は近くの喫茶店に入った。
注文したケーキはまだ来ない。

 

無難な世間話をしながら、

私は何気なく故障した乾燥機のことを口に出した。

よっすぃ〜は大きな茶色い目をぱちぱちさせて、私の顔を見つめた。
「な‥‥何よ」
よっすぃ〜は黙ったまま、小首を傾げて何か考え込んでいる。
また変なことを思いついたのだろうか。


「梨華ちゃんさぁ、今、冷蔵庫の中空っぽでしょ」
「は?」

 

いきなり何を‥‥
私はよっすぃ〜の意図が全く読めず、肯定も否定もせずに言葉を返した。

「なんでそう思うの?」
「ハリイ・ケメルマンの短編小説に、『9マイルは遠すぎる』ってのがある」
「‥‥は?」

ますます意味が分からない。
私はよっすぃ〜の思考回路を読むことを諦めて、

とりあえず次の言葉を待った。

 


「“A nine mile walk is no joke, especially in the rain.”

 9マイルもの道を歩くのは容易じゃない。

 ましてや雨の中となるとなおさらだ」

よっすぃ〜はやけに良い発音で、意味不明の英語を流暢に喋った。
きっと誰かにこの話をするために頑張って覚えて練習してきたのだろう。
私はそんな見栄っ張りのよっすぃ〜を愛しく思った。


「友人が適当に例示したその11語の英文から推論に推論を重ねた

 教授が、発覚すらしてない殺人事件を見破るっていう話だよ」
「何それ‥‥す、推論って、

 どんな妄想したらそんな結論に行き着くわけ?」

 

 

私は呆れて眉をしかめた。
アイスコーヒーのグラスを手に取り、ストローを口に含む。
ひとくち飲んで初めてガムシロップを入れ忘れたことに気づき、

私は小さく舌打ちをした。


「9マイルもの道を歩くのは容易じゃない。

 ましてや雨の中となるとなおさらだ。
 この言葉を発した人が実在すると仮定する。

 彼は明らかに歩くことにうんざりしている。

 できることなら歩きたくないと思ってるだろうね。

 さらに、彼が歩いたのは深夜から早朝にかけて、ということになる」


「ちょっと待って、なんでそうなるの?」
「昼間ならバスとか電車が動いてるんだから、歩く必要はない。

 ちなみに彼はきっと自家用車を持ってなかったんだろう。

 わざわざ歩いてるわけだし」
「はぁ」

 

「雨の日に9マイル、つまり約15キロ歩くとしたら、4時間ほどかかる。

 始発バスもしくは始発電車が着くのが5時半だから、

 彼は少なくとも5時半より前に、町で何か用事があった。

 それなら、なぜ彼は前日に町へ行かなかったのか」
「‥‥知らんがな」
「それは、終電より後の時間まで他の場所にいなくてはならなかったから」
「‥‥‥」


「まぁ、そんな感じでどんどん推論が続いていくわけだ。

 最終的に、教授は知りもしない殺人事件の全貌を解き明かしてしまう。

 何の変哲もないたった11語の任意の英文から、突拍子もない結論を

 論理的に導き出すんだ」

 

 

「‥‥それはあくまで教授の妄想でしょ?」
「妄想じゃない、推論だよ」
「でも、その単語は友人が適当に例示したものだったんでしょ?

 実際に殺人事件があったわけじゃないよね?」
「いや、あったんだよ本当に」

「どうして? 偶然?」
「教授はこう考えた。

 こんな具体的な例文を友人が咄嗟に思いつくわけがない。
 ということは、友人は無意識のうちにどこかでこの言葉を小耳に

 挟んだのではないか。 教授と友人は朝からレストランにいた。

 つまりこの言葉を発した人物である犯人は、レストランの中にいる」

 

 

私はぽかんとして、

ぺらぺらと喋り続けるよっすぃ〜の薄い唇を見つめていた。
ていうか私たち、なんでこんな話をしてるんだっけ。
全部は理解できなかったが、私は話を無理矢理まとめた。

「つ‥‥つまりあれだよね。 風が吹けば桶屋が儲かる、ってやつ」
「微妙に違う気もするけど、極論で言えばそうだね」


話を戻す。

「で、どうして乾燥機が壊れると冷蔵庫の中が空っぽなの?」
「あぁ、それは‥‥」

よっすぃ〜は思い出したようにアイスティーをひとくち飲んで喉を潤すと、

次のようなことを一気に喋った。

 

 

◆ 

 

 

乾燥機が2週間前に壊れたって言ったよね?
今は梅雨で、ほとんど毎日雨が降り続いている。

だから洗濯物を外に干せない。
それなのに、梨華ちゃんは困っていないと言っている。
単に部屋干ししてるってことも考えられるけど、

部屋干しって服とかクサくなるよね。
だけど梨華ちゃんはクサくない。 つまり部屋干しはしていない。

「何その論理‥‥」

いいから黙って聞け。
じゃあ梨華ちゃんはコインランドリーを使っているのかもしれない。
でも最近のコインランドリーには、

犯罪防止のために防犯カメラが設置されていることが多い。
自分の姿がカメラに記録されてしまうかもしれないコインランドリー

なんかを、曲がりなりにも芸能人である梨華ちゃんが軽々しく利用

するとは思えないんだ。

「曲がりなりにもって何よ!」

 

それに痴漢とか盗難とか、

とにかくコインランドリーって犯罪多くて物騒だからね。
人一倍慎重な梨華ちゃんなら、絶対行かないと思う。
というわけで梨華ちゃんは、

洗濯や乾燥を知り合いに頼んでいると考えられる。
まぁ男の影はないし友達も少なそうだから、

家族に頼んでるって考えるのが自然だろうね。

「わ、私だって友達いるもん」

そうだとしても、人様に迷惑をかけるのを嫌う梨華ちゃんが

こんなことを友達に頼むとは思えないし。

まぁ梨華ちゃんの場合、本人はそう思ってるつもりでも

無意識に周りに迷惑かけまくってるけどね。

 

「ちょっとそれどういう‥‥」

 

まぁそれはひとまず置いといて。
いちいち洗濯物を持っていくわけだから、家族が今住んでいるのは、

わりと梨華ちゃんのマンションの近くなんじゃないかな。
梨華ちゃんはズボラで面倒くさがりだし、もともと家事も苦手だよね。
毎日行き来できるほど近くに家族が住んでるなら、

家に寄ったついでに夕ごはんとか食べてるんじゃない?

「う‥‥」

 

梨華ちゃんは朝食を抜くことが多いし、昼食は仕事先で食べるし、

もともと料理をするとしたら夕食だけのはずだ。
で、最近は実家で夕ごはんを食べてるから、梨華ちゃん自身は

料理をしていない。
乾燥機が壊れてから、もう2週間が経っている。
2週間も経てば、冷凍食品や保存食品以外、たいていの食材の

賞味期限は切れてしまうだろう。
というわけで、

梨華ちゃんの家の冷蔵庫は空っぽという結論に達したんだ。

 

 

 

 

見事である。
よっすぃ〜の言う通り、確かに今うちの冷蔵庫は空っぽだ。
でも‥‥

「どう? 当たった?」
よっすぃ〜は得意げに、にこにこしながら私の顔を覗き込む。
私は不敵に微笑んだ。

「‥‥ハズレだよ」


店員がケーキを持ってやって来た。

 

「失礼致します。 レアチーズケーキとモンブランになります。

 ご注文のお品は以上でお揃いでしょうか?」
「あ、はい」
「ごゆっくりどうぞ」

 

 

よっすぃ〜はしゅんと眉尻を下げ、

心底がっかりした表情で私を見つめていた。

「おかしいなぁ、完璧な論理だと思ったんだけどなぁ」
「まぁ、いい線いってるけどね。

 ちょっと小説読んだくらいで調子乗るんじゃないの」


確かに実家に寄る機会は多いし、ごはんもそこで食べてしまうから、

最近は料理をしていない。
結論だけ見れば正解だろう。

しかし、よっすぃ〜はその過程で致命的な間違いを犯している。


私は1人暮らしなので洗濯物が少ないし、毎日やるなんて

面倒くさいことはしない。
2〜3週間おきにまとめて洗濯をしているのだ。
つまり私は、乾燥機が壊れてから1度も洗濯をしていない。

そして、乾燥機が壊れていてもいなくても、我が家の冷蔵庫は

常に空っぽである。

 

 

 

 

 

 

 

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