人形

 

 

 

 

 

「もしかして‥‥梅田さんじゃない? キッズの」

 

えりかが振り向くと、小さな赤ん坊を抱いた女の人が立っていた。

℃-uteではなくキッズと呼ばれるのは久しぶりだ。

「はい‥‥そうですけど」

 

えりかは首を傾げた。

見覚えのある顔だ。 誰だっけこの人。

背中まで伸ばした長い髪、大きな瞳にふっくらとした唇、

そしてえりかと並ぶほどの長身。

‥‥あ! 思い出した。

 

「飯田さん! お久しぶりです!」

 

飯田圭織はにっこりと微笑んで、「久しぶり」 と言った。

「赤ちゃん無事生まれたんですね」

「もうすぐ5ヶ月なの」

「可愛いですねぇ。 ‥‥触ってもいいですか?」

「どうぞ」

 

恐る恐る手を伸ばすと、

赤ん坊の小さな手がえりかの人差し指をぎゅっと握った。

胸がきゅうんとした。

 

「いいなぁ‥‥私も赤ちゃん欲しいなぁ」

と、言ってしまってからはっとする。

「いやその深い意味はなくて、私なんかまだまだ相手が

 いるわけでもないですし」

 

慌てて弁解するえりかを見て、圭織は笑って言った。

「あはは、分かってるよ。

 でも可愛いのは今のうちだけだからね、子供はすぐ大きくなるし、

 いずれはおじさんおばさんになるわけだし。

 子供をペット感覚で“可愛い”とか言ってるうちは、

 母親にはなれないよね」

「ですよね。 将来自分の子供が禿げ散らかしたおじさんになるかも

 なんて、今の私には想像つかないです」

「いや、さすがにカオリもそこまでは想像できないかも」

 

圭織はそう言って苦笑すると、腕の中の息子の頬をそっと撫でた。

 

 

「そうだ、梅田さんにこれあげるよ」

「え?」

 

不意に思いついたように言うと、

圭織は右腕に提げていた紙袋をえりかに差し出した。

「今ね、手芸教室に通ってるんだ。

 これ、カオリが作ったお人形なの」

 

えりかは紙袋を受け取って、中を覗き込んだ。

「うわ、すごーい。 可愛い」

手のひらより少し大きいサイズの布製の人形が

何体か入っている。

 

「カオリの赤ちゃんはあげられないけど、

 代わりにこの子たちを可愛がってあげて」

「ありがとうございまーす」

 

正直もらうことは気が引けたが、

大先輩の好意を無下にするわけにもいかない。

えりかがとびきりの笑顔でお礼を言うと、

圭織も満足げに微笑んだ。

 

 

「じゃあ、またどこかで会ったらよろしくね。

 ℃-ute頑張ってね」

「はい! 飯田さんも子育て頑張って下さい!」

 

街並みに消えていく圭織の後ろ姿を見ながら、

えりかは彼女のことを考える。

 

モーニング娘。の1期メンバーとして

ハロープロジェクトを切り開き、支えてきた圭織。

しかし娘。のリーダーになってからは、

特にスポットが当たることはなかった。

卒業の時でさえも。

 

娘。卒業後もずっと不遇が続き、突然のできちゃった婚のニュースも

その前の辻希美のインパクトにかき消され、

圭織はひっそりと芸能界を去った。

まったく同じ形で引退した辻希美は今でも世間で話題に上るのに、

飯田圭織の存在はすっかり忘れ去られている。

それは淋しいことなのか、逆に幸せなことなのか。

 

少なくとも、今日見た飯田さんはとても幸せそうだった。

もしかしたら、ハロプロにいた頃よりも。

 

 

昔、えりかは憧れの先輩として圭織の名を挙げたことがある。

今の自分は、かつての圭織と同じようなポジションにいる‥‥

ような気がしないでもない。

私も飯田さんみたいに結婚でもして引退したほうが幸せなのかな。

でも、忘れられるのは嫌だな。

 

なんとなくもやもやした気分のまま、えりかは家路に着いた。

 

 

♀ ♀ ♀

 

 

家に帰って紙袋から取り出してみると、人形は全部で7体あった。

7という数に、少しどきりとする。

 

「7人揃って‥‥はじけるぞーい」

そんなことを呟きながら人形たちを見つめる。

同じような人形が床の上に並んでいる様子は、

なんだか異様にも思えた。

 

綿が詰まった柔らかい体、黒いビーズの瞳、毛糸の髪の毛。

口の部分は赤い糸で刺繍されていて、

可愛らしくにっこりと微笑んでいる。

手作りだけあって、よく見るとそれぞれ少しずつ違っている。

人形が着ているレースをあしらったドレスは、

色だけでなくデザインも違うようだ。

 

「これはー、1番大きいから私かなぁ。

 これは色が黒いから千聖で、

 こっちは小生意気な顔してるから舞ちゃん。

 この子は服のセンスが悪いから舞美」

 

えりかはいつの間にか

それぞれの人形を℃-uteのメンバーに当てはめていた。

最初は正直少し気味が悪いとさえ感じた人形たちも、

名前をつけた途端、愛しく思えるようになった。

 

 

えりかはリビングの出窓のところに人形を飾ることにした。

自分になぞらえた人形“エリカ”を中心に、7体を綺麗に並べる。

 

「うん、いいじゃん。 可愛い可愛い」

えりかは満足して自分の部屋に戻り、眠りについた。

 

 

♀ ♀ ♀

 

 

「はぁっ、はぁっ、ただいまぁー!」

次の日、自宅に帰ってきたえりかは息を切らしていた。

 

走ってきたせいもあるのだが、興奮で心臓がどきどきしている。

まだ信じられない。

これ本当だよね? 夢じゃないよね?

 

つんくの言葉を、何度も脳裏で反芻する。

「センターは梅田で」

夏に出す℃-uteの新曲で、なんとえりかはメインパートを

任されることになったのだ。

 

 

今まで、℃-uteのセンターは愛理か舞美と決まっていた。

えりかは立ち位置も後列の端っこばかりで、

歌もメインどころか1フレーズのソロパートすら貰えていなかった。

 

それが今回、突然のセンター抜擢だ。

今まで地道に歌やダンスの練習を頑張ってきてよかった。

努力は報われるんだ。

 

 

夕食でそのことを家族に話すと、

両親も姉も自分のことのように喜んでくれた。

 

ふと、出窓に飾った人形たちに目が留まる。

圭織のことを思い出す。

 

飯田さん、私、センター取りましたよ。

無駄に背ばっか高くて、人気もないしパートもないし後列固定

だったけど、こんな私でもチャンスが貰えたんです。

私、飯田さんの分まで頑張ります。

 

 

♀ ♀ ♀

 

 

奇妙なことが起こり始めたのは、その頃からだった。

 

 

えりかは何の気なしに、出窓に飾っていた人形を並べ替えた。

左から年齢順に、

エリカ、マイミ、カンナ、ナッキィ、アイリ、チサト、マイマイ。

 

次の日、再び℃-uteメンバーがつんくに呼び出された。

「悪いけどセンター変更な。 中島で」

えりかは絶望のどん底に突き落とされた。

 

 

“カンナ”の着ているドレスの袖口がほつれていた。

えりかは特に裁縫が得意なわけではないのだが、せっかくなので

自力で直すことにした。

慣れない針と糸を使って、慎重に縫っていく。

「あ」

つい手先が滑って、針が人形の手の部分に刺さった。

 

次の日、仕事で会った栞菜は、左手の中指に絆創膏を貼っていた。

「栞菜、それどうしたの?」

「あぁ、昨日包丁で切っちゃって」

 

 

偶然かもしれない。 だけど。

えりかは試しに、ピンク色のペンで“アイリ”のおでこに

2つの点をつけた。

 

次の日、愛理の額には小さなにきびが2つできていた。

人形のアイリとまったく同じ場所だった。

 

 

えりかは確信した。

この人形は℃-uteの分身だ。

人形に起こった出来事が、同じように本人にも起こる。

 

不思議と、恐怖はなかった。

使いようによっては、自分の思い通りに事を運ぶことができるのだ。

 

 

えりかはさっそく人形を並べ替えた。

もちろん真ん中に配置するのは“エリカ”だ。

 

次の日、またつんくから招集がかかった。

「気が変わったんや。 やっぱセンターは梅田で。

 すまんな、中島」

 

 

♀ ♀ ♀

 

 

えりかが人形を手に入れてから2ヶ月が過ぎた。

新曲では無事にセンターをこなし、

CDの売り上げも、愛理や舞美がセンターだった時に比べて

落ちたりすることはなかった。

微々たるものだが、えりか個人のファンも着実に増えてきている。

 

 

今日は新曲のイベントがある日だ。

楽屋ではメンバーたちがそれぞれくつろいでいる。

 

「最近、肌荒れがひどくてさぁ」

「あ、舞美ちゃんも? 実は私もそうなんだよね」

「舞もだよー。 なんか肌がガサガサするの」

「私そばかすが増えた気がする」

「千聖は前にも増して黒くなったよね」

「うるさいなぁ」

 

肌荒れについて愚痴り合うメンバーの会話を聞いて、

えりかはどきりとした。

えりかもそうなのだ。

ここのところ、妙に肌が黒くなってきた。

日焼けと言うより、なんだか肌のくすみが目立つ気がする。

 

メンバー全員が同時に肌トラブルを起こすなんて、

ただの偶然と言ってしまえばそれまでだが、

やはり何かが引っかかる。

思い当たることといえば、あの人形だけだ。

 

 

家に帰ったえりかは、真っ先にリビングの人形を確認しに行った。

 

確かに以前より汚れている気がする。

日向の出窓に飾ってあったせいか、人形の顔や服は日焼けして

少し色褪せていた。

おそらく、それだけではない。

リビングでは父親がよくタバコを吸っている。

タバコのヤニのせいで、人形が茶色く変色しているのだ。

 

えりかは少しほっとした。

ヤニなら、洗えばすぐ落ちるはず。

これからはリビングはやめて、自分の部屋に人形を飾ろう。

とりあえず自分のやつだけでも洗っとこうかな。

 

えりかは小さめの洗濯ネットに“エリカ”を入れて、

洗濯機に放り込んだ。

 

 

♀ ♀ ♀

 

 

その日の夜、

水気のないはずの部屋でなぜか溺死しているえりかが発見された。

 

彼女を知る多くの人々が悲しみに暮れる一方で、

アイドルの謎の変死は世間の関心を集め、

ニュース番組でも連日報道されることとなった。

 

主のいなくなったえりかの部屋では、

7体の人形たちが今でも微笑んでいる。

 

 

 

 

 

ノソ;^ o゚)<肌荒れが治らない件

 

 

 

 

 

 

 

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