お得意さま

 

 

 

 

 

眠い。 退屈だ。 暇すぎる。

壁に掛けられた時計の針は2時ちょうどを差していた。
深夜2時である。客なんて来るわけない。

個人経営の小さな弁当屋でバイトを始めて3年になる。
大手チェーン店でもないのに24時間営業という無駄にサービスの

良いこの店は、近くに他の弁当屋がないためか、わりと繁盛している。

しかしさすがにこの時間になると客も少なく、1時間に数人ほどだ。
40分前に常連のイケメン兄貴が来たっきり、客足は途絶えている。

店長の中澤さん(三十路)が店の奥の調理場で鶏肉を揚げていた。
あー、うまそうな匂い。

「中澤さぁん、お腹へりましたー」
「はいはい、余った唐揚げやるから待っとき」
「わーい」

中澤さんはいつも朝6時に上がって11時には入る。
普通に考えて毎日3〜4時間しか寝てないよな。
体もつのかな。 もう若くないのに。 独り身なのが幸いだけど。

 

チリンチリーン。
「あ」
店のドアに取り付けた鈴が揺れた。
客が来たことを知らせるための、最も原始的な合図である。
「いらっしゃいませー」

気だるそうに入ってきた若い女は、レジの前に来て

「シャケ弁2つ」 と言った。
「かしこまりました、シャケ弁2つー」
調理場から 「あいよっ」 と中澤さんの声がした。

「先にお会計失礼します。 ‥‥840円ですね」
女は財布から千円札を1枚取り出す。
「160円のお返しでーす」

女は無言でお釣りとレシートを受け取ると、

カウンターのそばにある椅子に座って偉そうに足を組み、

携帯をピコピコやり始めた。

 

女は色褪せたTシャツに裾が破れたジャージというだらしない格好で、

長い髪は 少し濡れている。
髪くらい乾かしてから来いっつーの。
っていうか何だよ、そのあからさまな乳首ポチコは。
いくら夜中とはいえ、ノーブラで外出るなよ‥‥

 

「はい、シャケ弁2つー」
中澤さんの声がして後ろの棚に弁当が2つ置かれる。
私はそれを受け取ってビニール袋に重ねて入れ、割り箸を1膳入れて、
袋の口をシールで留めた。

「お待たせしま‥‥」
「おい、てめー何考えてんだよ!」

へっ?‥‥な、なに?
私はきょとんとして、いきなり怒り出した女の顔を見つめた。

「ふざけんな! 普通、箸は何膳いりますか、とか訊くもんだろうが!」
「あ、すみません」
「しかもなんで1膳なんだよ!

 ミキが夜中に独り淋しく弁当2人前ヤケ食いするような痛い女に

 見えるってか? え? バカにすんじゃねーよ」

うっわぁ、いい年して自分のこと名前で呼ぶ女のほうがよっぽど痛いよ。
勝手にキレ始めるDQNほど始末の悪いものはない。
私は素直に頭を下げた。

「失礼致しました、えーと、お箸は何膳お付けしますか」
「おっせーんだよ訊くのが!2膳に決まってんだろ!」

袋の中に割り箸をもう1膳入れて渡すと、女は乱暴にそれをひったくり、
「おのれポンコツ店員!社会のゴミ!こんな店2度と来ねーよ!」
と捨て台詞を残して早足で店を出て行った。

チリンチリンチリリーン。
私はポカーンとしたまま女の後ろ姿を見送っていた。

 

何だったんだ今のは。
まぁ確かに私が悪かったけど、あんなにヒステリックに怒るようなこと?
ポンコツとかゴミとか言われて、非常に気分悪いんですけど。

まったく、いまどきの若者は短気すぎる。
ミス指摘すんのはいいけどいちいちキレなくてもいいじゃんね。
私は店員として反省するから、

お前は客だからって何言ってもいいと思ってるその態度と心構えを改めろ。
何にイライラしてんだか知らないけど、

自分より弱い立場の人間に八つ当たりしてんじゃねーよ。
‥‥あぁちくしょう。だんだん腹立ってきた。

頭の中でぐるぐる考えながら1人でヒートアップしていると、

後ろから呑気な声が聞こえた。
「吉澤ぁ、大事なお客が1人減ったやんけ。 どうしてくれる」
中澤さんがにやにやしながらこっちを見ていた。

「あはっ、すみません」
なんだか気が抜けて、私もへらへらと笑う。
「ま、ああいう面倒な客は別に来てもらわんでもえーけどな」
経営者らしからぬ暴言を吐いて、

中澤さんは唐揚げが2つ乗った小皿を私に差し出した。

 

 

 

 

次の日のことだった。

私は家からかなり離れた、いつもは行かないようなコンビニにいた。
どうしても欲しい雑誌があるのだが、

家の近くの店には置かれていなかったため、少し遠くまで足を伸ばして

本屋やコンビニを回ることにしたのだ。

3件目のコンビニでやっと目当ての雑誌を発見。
意気揚々とレジまで持っていった私は、思わぬ人物との再会を果たした。

「ぁあ!?」
思わず大きな声を上げる。
「‥‥あ」

レジにいた店員は、間違いなく昨日のブチキレ女だった。

 

気まずい空気が流れる。
ネームプレートに“藤本”と書かれたその店員は、

慌てて商品のバーコードを読み取る作業を始めた。
完全に目が泳いでいる。

どうやら相当焦っているようだ。

私は少し考えた後、にんまりした。
またとない機会!ここは1発、昨日の恨みを晴らしてやろうではないか。

「えーと‥‥241円になります」
藤本がぼそぼそと言った。私はここぞとばかりに、
「あ? 聞こえねーよ」

藤本の顔色がさっと変わった。
私はカウンターに手をつき、ぐっと顔を近づける。

「シャケ弁はお口に合いましたでしょうか? 藤本ミキさん」
「はっ? なんで下の名前‥‥」
「未だに1人称が自分の名前ってのも恥ずかしいよねー」

藤本の眉が片方ぴくりと上がった。

「‥‥541円お預かりしまーす。 300円のお返しでーす」
「うわっ無視かよ」
「ありがとーございましたー」
「ふはは、いい年して自分のことミキだってー。 かーわいー」

なんとか営業スマイルを保ったままの、藤本の唇の端がぴくぴくと震える。
私はお釣りを受け取り、去り際にとどめの1発をかました。

「若い女が夜中にノーブラで出歩いてんじゃねーよ」
「!」
さらに小声で付け足してみる。
「ま、あんたの貧相な乳じゃ誰も興奮しないだろうけど」

藤本の引きつった笑顔が、一瞬で般若のような表情に変わった。
近くにいた男性店員がぎょっとして目をそらした。

 

「うっしっしっしっし」

コンビニを出た私は1人で笑いながら、歩道をスキップして歩いた。
言ってやった! 言ってやったぞ! 客という立場を利用して!
まぁちょっとやりすぎたような気もするけど、なんという爽快感。
ざまぁ見ろ。

「むふ、ぐふふふ」
藤本の狼狽した表情を思い出して、私はまた含み笑いをした。
心なしか、すれ違う人たちが必要以上に私のことを避けてるような

気がするけど関係ありません。 気にしません。

あーすっきりした。
あとで中澤さんに報告しようっと。

 

 

 

 

「おっ、ひとみちゃん相変わらずべっぴんさんだねぇ」
「えへへぇ、それほどでも」
「機嫌いいみたいだけど何かあったの?」
「ひみつでーす」

今日はお世辞も素直に受け取れる。
私は上機嫌で、常連客のおじさんと話をしていた。

「よしっ、じゃあ今日はちょっと奮発して黒豚焼肉弁当いただこうかな」
「まいど! 中澤さぁん、焼肉弁当ひとーつ」
「あいよー」

OK、仕事も順調だ。今日は良い日だなぁ。


 

おっさんが帰った後、私はさっそく中澤さんに得意げに今日の話をした。
しかし、聞き終った中澤さんは呆れかえった顔で一言、
「‥‥‥あほか、お前は」

「え! なんでなんで? グッジョブじゃないの?」
「ほんま思考回路が小学生やな」
「だって目には目を、歯には‥‥にはハニワを、って言うじゃないですか」
「へぇ‥‥それ素で間違えとんのか?」
「まさか。 冗談です」
「つまらんで」
「ガビーン」
「‥‥はぁ‥‥」

中澤さんは大きなため息をつく。
期待していたような反応が返ってこなくて、私は少しがっかりした。

「中澤さんなら褒めてくれると思ったのにー」
「うっさいわクソガキ。 客に仕返ししてどーすんねん」
「でも向こうでは私が客でした」
「屁理屈言うなアホ! あんたがこの弁当屋の店員ってことはバレてんねやから」
「はぁ」
「もし万が一、そいつがさらに仕返しで変な噂流したりして、

 この店の評判落ちたらどないしてくれんねん」
「‥‥すみません」

確かにその通りだ。
いくらプライベートとはいえ、顔が割れてる。
自覚が足りなかった。
私は深く反省した。 中澤さんごめんなさい。

 

しかし、その時だった。

チリンチリーン。 ドアの鈴が勢いよく鳴った。
「おぉっと、いらっしゃいませー」
私は条件反射で振り向いて、にこやかに客を迎える。
「あ‥‥」

なんというタイミング。 藤本だ。
相変わらずTシャツに破れたジャージという、部屋着そのままの格好である。
私へのささやかな反抗なのだろう、やはり今日も乳首が透けていた。

やべぇ、何しに来たんだこいつ。
思わず調理場にいる中澤さんに、目で助けを求める。
中澤さんはにやにやしながら 「知らんで」 と口だけ動かして、

つんと目をそらした。
あぁーどうしようどうしよう。

「トンカツ弁当1つ」
「はっ! へっ?」
予想に反して普通の言葉を発した藤本に驚いて、私は変な声を出してしまった。

「だーかーらートンカツ弁当くれって言ってんの!」
「すみません」
「客の注文くらいちゃんと聞いとけ、無能店員」
「は、はは‥‥すみません」

 

いつも通り中澤さんに注文を伝えると、調理場からは、笑いをこらえているような
「あいよぉぉほほ」という声が聞こえた。
くそぉ、楽しんでやがる。さっきまで真顔で説教してたくせに。

「‥‥‥で?」
カウンターのガラス棚を指でカツカツ叩きながら、藤本がいらついた口調で言った。

「え?」
「会計!!」
「あ、はい。 すみません」
「いちいちおせーんだよ。 あんた何年このバイトやってるわけ?」
「今年で3年です」
「うっわ! 信じらんない。 全国トップレベルの役立たずだね」
「‥‥えへっ、それほどでも」
「褒めてねぇよ。 こんな無能店員に3年間も給料払ってるなんて、店長さん可哀相」
「そうかもしれません」
「へぇ。 じゃあさっさと辞めなよ」

うっぜぇぇぇ。 何だこいつ。
明らかに喧嘩をふっかけられている。

‥‥ちくしょう、耐えるんだ自分。

ここで乗ってしまえば相手の思うつぼ。
こうなったら開き直るしかない。
私は極上の作り笑顔と、ショップ店員にありがちな媚び媚び声で反撃に出る。

「はいっ、それではお会計504円になりまーす♪」
「キモ」
‥‥笑顔がぴしっと引きつったのが自分でも分かった。
くっそー、いちいち腹立つわ。 確かに今のはキモかったけどな。

 

弁当が出来上がるまでの数分間、私はカウンターに突っ立ったまま、

気まずい時間を過ごしていた。
藤本はレジのすぐ近くの椅子に座って、携帯をいじっている。
こういう時に限って他の客が来ない。

あぁ、くそ。 気まずい。 落ち着かない。

「はいトンカツ弁当〜」
やっと中澤さんの声がして、後ろの棚にほかほかの弁当が置かれた。

出来上がったトンカツ弁当を袋に入れて渡すと、

藤本は嫌味たっぷりの歪んだ笑顔で言った。
「ていうかさ、あんたもミキのことバカにできるほどの乳じゃないよね」
「っな!」
「じゃ、頑張ってね、役立たずなりに」

チリンチリリーン。

むかつくー! 何あいつ! 嫌味言いに来ただけじゃん!
私の中で、さっきまでの反省の色は完全に消え去っていた。
ここで負けるわけにはいかない。
あいつをぎゃふんといわせなければ気が済まない。
覚えてろよ、ミニマムおっぱい。

 

 

 

 

私は藤本に嫌がらせをするため、あのコンビニに通うようになった。
家から結構遠いけど、そんなことは問題じゃない。
夏休みの間、藤本のシフトは月火木土曜日だということも調べはついている。

当然のごとく藤本も応戦した。
あちらも私のシフトは把握したようで、毎週月水木の決まった時間に

この弁当屋に来るようになった。
どうやら彼女なりにこの機会を有効活用するつもりらしく、

毎日あえて違う弁当を買うようにしているようだ。
新たな常連客を獲得し、中澤さんも大満足である。

嫌がらせと言っても、ちまちまとした実にくだらないものだ。

 

 

 

 

火曜日の昼、私は藤本のいるコンビニへ行き、数種類の商品をカゴに入れた。
ハーゲ●ダッツ2個(各¥252)、野菜ジュース(¥157)、5円チョコ(¥5)。
※すべて税込み価格である。

藤本のレジの前の客が途切れたのを見計らって、私はそこへ直行した。
藤本は、またお前かよ、とでも言いたそうに小さく舌打ちをして、

商品をスキャンし始める。

バカめ、平気な顔をしていられるのも今のうちだけだ。
私の計算が正しければ‥‥

「えー、666円になりまーす」

イエス!ジャストミート!
私は目を見開いて大袈裟にのけぞった。

「ふぉー! なんてこった! 不吉!」
「‥‥は?」
「だって666だよ? 悪魔の数字じゃん! 藤本サン呪ワレチャウヨー」
「急に片言になるなよ」
「誰のせいか知らないけど縁起悪いよね、ドンマイドンマイ」
「はぁぁあ??」

私は事前に用意していた小銭をじゃらじゃらとカウンターに置き、

ビニール袋を掴むと、

「レシートイラナイヨー」 と言って足早に去っていった。

 

よし! ひとまず大成功である。
見たか、この私の華麗なる頭脳戦を。

こうやってじわじわと、藤本を心理的に追い詰めていくのだ。
我ながら省エネで効率的な戦法である。

ただ、この作戦に唯一の失敗があるとすれば、それはハー●ンダッツだった。
コンビニから家まで徒歩15分かかるということを忘れていたのだ。
気温36℃の炎天下、私は全力で走ったのだが、

この高価なアイスクリームは私が家に着いた時にはすでに溶けきっていた。

 

 

 

 

水曜日の夜、藤本が弁当屋に来た。
藤本は迷わずレジ前まで歩いてくると、いつもと変わらない口調で言った。
「唐揚げ弁当1つ」

 

そして数分後。

「お待たせ致しましたー、唐揚げ弁当でーす」
「ハイ」
「お箸は何膳お付けしますか?」
「30膳で」
「‥‥‥‥は?」
「30膳で」
「‥‥‥」
「割り箸は1人何膳まで、なんてルールないよね?」

 


ずしりと重くなった袋を満面の笑みで受け取って、

藤本は上機嫌で帰っていった。

‥‥こんなの毎回やられたらたまんねー。
中澤さんに怒られちゃうよ。
ちくしょう。悔しいけどあの割り箸、ちゃんと全部使えよな。

 

 

 

 

木曜日の夕方、私はコンビニへ行った。
野菜ジュース、雑誌『ターザ●』、錠剤タイプのカルシウム入りサプリメント、
よっちゃんイカ、その他諸々駄菓子。

頃合いを見計らって藤本のレジへ向かう。
藤本は私の顔を見ると、

明らかにやる気のない声で 「いらっしゃいませぇ」 と言ってため息をつき、

面倒くさそうに商品をスキャンする。

「‥‥1102円になりまーす」
「はい」
「1110円お預かりしまーす。8円のお返しでーす」

私はお釣りを受け取って財布に入れた。
そして、おもむろにビニール袋からカルシウムサプリを取り出して

カウンターに置いた。

「はい、これ」
「は? 何ですか?」
「藤本さんにあげるよ。 あたしのおごりだよ」
「なんで」
「毎日イライラしてるみたいだから、カルシウム不足かと思って」
「いらねーよ!」

 

 

 

 

木曜日の深夜、藤本が弁当屋に来た。

いつもは脇目も振らずレジ前に突き進んでくる彼女が、今日は珍しく

店内の惣菜やデザートを物色している。
おにぎりの陳列棚のところで、藤本の目が留まった。
メニューと見比べて、何かを考えているようだ。

「すいませ〜ん」
「はいはい、何でございましょう」

藤本に声を掛けられたので、私は思いっきりへらへらしたうざい顔を作り、
わざと神経を逆撫でするような媚びた声で返事をした。

「何だよ、なんかムカつくな」
「え? え? なんすか? 何がムカつくんスか?」
「うざっ。 ‥‥ところで注文いい?」
「へい、お待ち!」
「いちいちうざいな、お前は。 おにぎりの焼きタラコ3個と昆布7個くれ」

そう、その2種類のおにぎりは今ちょうど切らしていたところだったのだ。
こいつ、わざと無くなってるやつ頼みやがったな‥‥
っていうかそれ全部1人で食うのか?

 

「中澤さぁーん、おにぎりタラコ3個と昆布7個」
調理場に向かって恐る恐る言うと、中澤さんは予想通りの言葉を返してきた。
「吉澤、あんた暇やろ? 握るくらい手伝え」

‥‥なんてこった。
バイトを始めた頃、最初の1ヶ月くらいは調理のほうも教えてもらったのだが、
どうやら私には向いていなかったようで。
おかずにしてもおにぎりにしても、

毎回まったく同じ味、同じ大きさで作ることができなかったのだ。
これでは売り物にならない、ということで、私はレジ専門要員になった。

 


私の反応を見て何かを察したのか、藤本は鼻で笑った。
「店長さんが呼んでるよー。 早く手伝ってあげればぁ?」
むきー! ガッデム!

中澤さんが調理場から、ひそひそと小声で追い討ちをかけた。
「お客さん待たせるわけにいかんやろ。

 塩の量とか海苔の巻き方は、その都度うちが教えてやるから」

結局私はタラコおにぎりを作るはめになり、

中澤さんにブースカブースカ文句を言われながら、涙目で3つ仕上げた。

 

 

 

 

私はコンビニへ行った。

 

巨乳アイドルが表紙の、下世話なグラビア雑誌を買う。
(幸い私は、こういう類の雑誌を買うことにあまり抵抗がない)

 

レジでは、わざと表紙を藤本のほうに向けてカウンターに置いた。

今回も心理作戦である。
嫌でも目に飛び込んでくる立派なスイカップ。
お前はこの巨乳を目の裏に焼き付けて、劣等感に苦しむがいい。

 

 

 

 

藤本が弁当屋に来た。
藤本はバッグから何やら書類のようなものを取り出す。

「はいっ、これあげる」
「何ですか」
「ミキからあんたへのプレゼントだよ」
「‥‥なんで履歴書?」
「新しいバイト探さなきゃいけないでしょ? そろそろクビになる頃かと」

 

 

 

 

私はコンビニへ行った。

「525円になりまーす」
「はい」
私は財布から千円札を1枚取り出し、そっとカウンターに置く。

「ぶはっ!」
藤本が笑いをこらえきれずに吹き出した。

顔の部分をジグザグに折り曲げられた野口英世が

陽気な笑みで藤本を見つめていたからである。

 

 

 

 

2ヶ月が過ぎた。

次はどんな嫌がらせをしてやろうか。
どうすれば相手に細かいダメージを与えることができるか。
どっちが気の利いたうまいことを言えるか。

そんなことを考えながらお互い競い合っていると、不思議なもので、

いつの間にか以前より毎日が充実していることに気づいた。
良いアイディアが浮かんだ時などは、遠足前の小学生みたいにわくわくする。
コンビニに行くのが楽しみになってきた。

たぶんそれは藤本も同じだ。
弁当屋に来て嫌味を言っているときの藤本は、とても活き活きしている。
私がコンビニに行くとすぐに気づいて、目が合えばにやりと笑う。

目的が手段に変わりつつある。
ちまちました嫌がらせは、私たちにとってコミュニケーションの手段なのだ。

 


藤本は最近、弁当ではなく惣菜を買うことが多い。
うちの店の15種類の弁当は、すでに制覇したからだ。
すっかり常連客である。
中澤さんとも顔馴染みになり、私がいない日にもよく店に来るようになったらしい。

 

 

 

 

「あ、吉澤」
「はいっ」

「あんたに言い忘れてたけど、新メニュー考えたで」
「おぉっ、まじすか! 半年ぶりですね!」
「ちなみに来週からお目見えや」
「わーい! 何弁当ですか?」
「若鶏のディアボラ風ジューシーチキン弁当」
「うひょー! 響きからしてうまそう!」
「うん、我ながらネーミングセンスは抜群やと思う」

「‥‥でも“若鶏”と“チキン”って被ってませんか?」
「細かいことは気にせんでええ」


 

昨日そんなやりとりがあって、今、私は藤本のいるコンビニへ向かっている。

このニュースを、いち早く彼女に知らせてやらなければ。
弁当を全メニュー制覇して新しい味を渇望しているであろう藤本に。

 


あ、そういや今日の嫌がらせ何にするか考えてなかった。
‥‥‥まぁいいか。
たまには休みも必要だ。今日は情報を伝えるだけでいい。

新メニュー追加って言ったら、あいつ喜ぶかな。
それとも興味なさげに 「あっそ」 で終わるかな。
でもそんなこと言いつつ、次に来たときには絶対その弁当頼むんだろうな。

「ふへっ」
思わず口元が緩んだ。

 

すっかり涼しくなった秋の日の午後、私は年甲斐もなくスキップをしながら

コンビニへの道のりを急ぐ。
少しだけ、ほんの少しだけ心が躍った。

 

 

 

 

 

 

 

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